人的資本を開示した企業は、なぜESG評価が高いのか

これからの企業価値を測る指標は、従来の財務的な成果だけでは語り尽くせなくなっています。資本市場の視線は、利益や売上の数値だけでなく、企業の「持続可能性」や「社会への貢献姿勢」にも向けられています。その中でも特に注目を集めているのが「人的資本」、すなわち企業に属する一人ひとりの従業員が持つスキル、知識、経験、そして多様な価値観です。
そして近年では、この人的資本に関する「情報開示」が企業経営における新たな責任と戦略の柱として急浮上しています。人的資本への投資を「見える化」し、外部のステークホルダーと共有することが、企業の信頼性や成長力、ひいてはブランド力の強化につながっています。

 

人的資本の情報開示とは何か?

人的資本の情報開示とは、企業が従業員に対してどのような取り組みを行い、それがどのような成果や課題につながっているかを、数値と具体的な事例を交えて外部に公開することを指します。開示される情報は多岐にわたります。たとえば、研修実施率や従業員エンゲージメントスコア、男女比や多様性指標、離職率、管理職に占める女性比率、さらにはキャリアパス支援制度や社内公募制度の運用状況などが含まれます。

2023年には日本政府が「人的資本可視化指針」を策定し、上場企業を中心にこうした開示を促進する動きが本格化しました。これにより、単に「何をしているか」だけでなく、「なぜそれをしているのか」「どのような効果があったのか」といった背景や意義までを含めた開示が、企業に求められています。

 

数字とストーリーの両輪が信頼を生む

人的資本の開示においては、単なるKPI(重要業績評価指標)の羅列では十分とはいえません。数字は確かに客観性を示しますが、それを「どのような意図で」「どんなプロセスで」実現してきたかという文脈をともなわなければ、企業としての独自性や真摯な姿勢は伝わりません。
たとえば、異業界からの転職者の活躍推進に取り組むあるメーカーでは、採用実績と併せて、入社後の成長プロセスや活躍事例を動画と文章で発信し、社外から高く評価されています。単なる成功例の列挙ではなく、「こうした制度によってキャリアの選択肢が広がった」という社員の声を紹介することで、見る人の共感を呼び、企業の文化や価値観までも伝えることができます。

このように、開示内容には企業の「人に対する投資哲学」がにじみ出ます。それはIR(投資家向け広報)だけでなく、採用広報やCSR(企業の社会的責任)、さらには経営理念の伝達にも直結するのです。

 

ESG評価と人的資本:企業価値を左右する新たな基準

人的資本の情報開示が注目されている背景には、「ESG投資」の拡大も大きく影響しています。ESGとは、環境(Environment)、社会(Social)、ガバナンス(Governance)の頭文字をとった概念で、企業の持続可能性を評価する指標として、世界中の投資家が注目しています。

その中でも「S(社会)」の要素において、人的資本の取り組みは極めて重要視されています。多様性の確保、従業員の働きがい、安全衛生、キャリア支援などが評価の対象となり、それらをきちんと開示している企業ほど、ESG格付けにおいて高評価を得る傾向があります。たとえば、MSCIやSustainalyticsなどのESG評価機関では、人的資本に関する開示の有無や透明性を重要な評価項目の一つとしており、企業のレポートやIR資料をもとにスコアを算出しています。つまり、人的資本に関する情報を戦略的に発信することは、資本市場における信頼を築くうえで避けて通れないのです。

 

採用競争力を左右する人的資本ブランディング

今や求職者は、給与や勤務地といった条件面だけではなく、その企業が「どのような環境で、どんな人たちと、どう成長できるか」を強く意識して企業を選ぶようになっています。とくにZ世代やミレニアル世代は、自分の価値観とマッチする企業を探す傾向が顕著であり、企業の人事戦略や価値観が外から見えることは大きな意味を持ちます。
人的資本の情報開示は、こうした世代との重要なコミュニケーションツールでもあります。採用ページに離職率やキャリア支援制度を掲載するだけでなく、実際に制度を活用してキャリアを築いた社員のインタビューや座談会の記録を掲載することで、企業の「人を大切にする文化」がより深く伝わります。

また、こうした開示内容は、既存社員にとっても誇れる情報になります。自分たちの職場が社会的にどう見られているのか、どのような位置づけにあるのかを知ることで、エンゲージメントや帰属意識の向上にもつながるのです。

 

まとめ:人を見せることが、企業を見せることになる

人的資本の情報開示は、単なる数字の公表ではありません。それは、「人をどう扱い、どう育てるか」に対する企業の哲学や信念を、社会に対して表明する行為です。そしてこの姿勢こそが、企業価値の根幹を形づくるのです。たとえば、優れた制度や制度設計よりも、それを支える風土や日々の実践、社員の納得感といった“定性的な価値”が、企業文化を築き上げます。だからこそ、人的資本の開示には、数字とストーリーの両方が必要になります。

未来の企業価値は、財務諸表の中にはありません。社員の声に耳を傾け、働く環境を整え、人を資産として育てる姿勢こそが、顧客・投資家・社会からの信頼を勝ち取る鍵となります。人的資本の“見える化”は、企業の未来を拓く羅針盤といえるのではないでしょうか。

カテゴリ
ビジネス・キャリア

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