雇用の“断層”から“橋”へ:ロストジェネレーションと日本型雇用システムの転換点
1990年代後半、日本はバブル崩壊の影響を受けて長期不況に突入しました。企業のコスト削減が急務となるなか、新卒一括採用の大幅な抑制が行われ、当時学生だった世代は過酷な就職環境に晒されました。この時代に社会へ出た人々は「就職氷河期世代」あるいは「ロストジェネレーション(失われた世代)」と呼ばれ、現在では40代後半から50代前半を中心に構成されています。
彼らの多くが、非正規雇用や不安定な職歴のままキャリアを積み上げることができず、いまだに正規登用の機会を十分に得られていないことは、日本社会に横たわる「雇用の断層」の存在を浮き彫りにしています。
メンバーシップ型雇用の呪縛:制度が生んだ排除の構造
日本の雇用慣行は、戦後から続く「メンバーシップ型雇用」に支えられてきました。このモデルは、新卒一括採用を入口とし、職務を限定せず人材を組織内で長期的に育成していく形式で、終身雇用や年功序列と密接に結びついています。高度経済成長期には、安定と忠誠を前提とするこの仕組みが機能しましたが、柔軟性に欠けるがゆえに、ひとたび「新卒枠」を逃すと、再チャレンジが著しく困難になるという弊害も持ち合わせています。
ロストジェネレーションはこの“門”が閉じられた時代に社会へ出てしまい、企業の内部労働市場に入るチャンスを失ったのです。しかも、年齢や学歴に重きを置く日本の採用文化において、空白期間は“ネガティブな履歴”として扱われ、非正規雇用や転職歴の多さが不利に作用するという「構造的排除」が生まれました。
数字で見る現実:データが示す雇用と生活の不安定性
厚生労働省の「就職氷河期世代支援施策検討会報告書」によると、対象世代の約1,700万人のうち、およそ400万人が非正規雇用や失業状態にあり、特に長期無業者は70万人以上と推定されています。加えて、国税庁の民間給与実態統計調査(2023年)では、40代非正規労働者の平均年収は約180万円と、同世代の正規社員(約500万円)の約3分の1にとどまっています。
この“見えにくい格差”は、家族形成の遅れ、住宅取得の困難、老後資金不足へと連鎖し、個人の人生だけでなく、出生率や地域経済、社会保障制度の持続性にも負の影響を与えています。
ジョブ型雇用というもう一つの選択肢:再評価と再起動の鍵
こうした状況を打破するためには、日本のメンバーシップ型雇用のあり方自体を問い直す必要があります。注目されているのが、欧米型の「ジョブ型雇用」です。これは、あらかじめ職務内容・責任・スキルを明示し、それに応じた人材を雇用する仕組みで、年齢やキャリアの“空白”ではなく、実力と適性に基づいた評価が基本となります。
この仕組みは、ロストジェネレーションのような“不連続な履歴”を持つ人に対しても、公平な評価の場を提供する可能性があります。政府も現在、国家公務員制度や一部民間企業におけるジョブ型導入を推進していますが、制度設計・文化醸成・教育支援が伴っていない限り、現場での形骸化が危惧されます。
深掘りされた解決策:制度・教育・文化を連動させる三層アプローチ
1. スキル可視化の全国標準化
まずは“何ができるか”を示すための、スキル認証制度の整備が必要です。現在の「職業能力評価基準」は一部業種に限定されており、全国的な信頼性を持つ資格体系としての整備が求められます。IT、介護、観光など成長分野を中心に、第三者評価機関による認証制度を設けることで、履歴書に代わる“能力の証明書”として活用できます。
2. 公費によるリカレント教育と生活支援
リスキリング(再教育)へのハードルは費用と時間です。OECDの調査によれば、日本のリカレント教育支出は先進国平均の3分の1程度にとどまります。授業料補助に加えて、就学中の生活支援金(月10万円〜程度)や職業訓練と連動した雇用斡旋を組み合わせることで、実効性を高めることができます。
3. 「空白」に寛容な社会的価値観の転換
制度や教育が整っても、社会的偏見が残る限り再挑戦は難しいままです。履歴書から年齢・学歴の記載を外す「ブラインド採用」や、40代以降のインターン制度、企業内副業・越境学習の制度化などを進め、キャリアの再構築を文化として肯定する必要があります。これは、単なる労働問題ではなく、社会全体の成熟度が問われる価値観の問題でもあります。
ロストジェネレーションを“失われた世代”で終わらせないために
ロストジェネレーションは「失われた世代」ではなく、実は“見落とされてきた世代”です。彼らが直面した困難は、個人の失敗ではなく、時代と制度の構造が生んだ必然でした。だからこそ、社会が責任を持って、その溝を埋めるだけではなく、彼らが再び歩き出せるような“橋”を架ける必要があります。
ロストジェネレーションが「やり直せる社会」は、すべての世代にとって希望を持てる社会です。
人生は一度きりではなく、何度でも挑戦できる——その前提を社会全体が信じられるようになることこそ、日本の未来をより強く、しなやかにする第一歩となるでしょう。
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