地方の“家制度”が若者の未来を奪う構造とは
令和の時代に、あなたの人生は“家の都合”で決まっていませんか?
テレワークや地方創生施策の進展により、都市部から地方への移住が以前にも増して注目されています。自然に囲まれた暮らしや地域コミュニティとのあたたかいつながりに魅力を感じる人も多く、「地方で働き、暮らす」ことが、現代における豊かさの一つとして語られるようになりました。
しかし一方で、もともと地方に暮らす若者や、親の希望を受けて帰郷を決断する人たちの中には、「家を継ぐよう言われている」「実家を放置できない」「親の老後を考えて戻るしかない」といった複雑な背景を抱えている方も少なくありません。
こうした「帰らざるを得ない空気」の根底には、戦後に制度としては廃止されたものの、今なお慣習や価値観として地方に残り続ける“家制度的な構造”が深く関わっています。
制度はなくなっても、構造は残る──令和にも生き続ける“家”中心の価値観
家制度とは、明治民法によって確立された「家」を中心とした家族形態で、戸主を頂点に家名や財産、役割が世代を超えて引き継がれる仕組みでした。1947年の民法改正で制度としては廃止され、法的にはすでに存在しないものとされています。ところが、地方の多くの地域では、「家を守る」「墓を継ぐ」「長男は実家に残るべき」といった考え方が、現在も“当然のこと”として共有されています。これは制度ではなく、慣習・文化・空気として今も強く機能しており、若者の進学・就職・結婚・移住といった人生の選択に対して、大きな影響を与えています。
NHKの「地域と家制度に関する意識調査(2022年)」では、地方在住の40代以上の回答者のうち約56%が「子どもには実家を継いでほしい」と答えており、都市部の約28%と比べて2倍の差が見られました。
このように、法制度としての家制度はなくても、「家」という単位にこだわる文化は根強く、若者が自由に進学や転職、移住といった選択を行ううえでの“見えないハードル”となっています。
見えない“役割の押しつけ”──女性に偏る家制度の負担
こうした家制度的な価値観は、特に女性に対して不均衡なかたちで影響を及ぼしています。結婚後に「嫁ぐ」「夫の家に入る」という表現がいまだに日常的に使われている地域では、女性が家庭の中だけでなく、地域社会においても“担い手”としての役割を求められやすくなっています。
義家族との同居や敷地内同居、家事・介護の責任、さらには自治会やPTAの活動など、家庭外の負担までもが女性に集中する構造は、働き方や人生設計の自由を大きく制限する要因となっています。
実際、内閣府の「男女共同参画白書2023」によると、地方では結婚・出産後にフルタイム勤務を継続する女性の割合が都市部よりも明らかに低く、その背景には「家庭を優先すべき」とする周囲の無言の期待があると報告されています。
「嫁になったから」「家に入ったから」という理由で、夢やキャリアを手放さざるを得なかった女性たちの声に、家制度の深い影が見えてきます。
教育の未来を“家の都合”で奪っていないか──進学機会と家制度の関係
家制度の価値観は、子どもたちの進学や教育の選択肢にも静かに影響を及ぼしています。とくに地方の農家や家業のある家庭では、「長男は家を継ぐから進学しなくていい」「娘はどうせ嫁に行くから地元の高校で十分」といった判断が、家庭内で当たり前のように交わされている場合があります。
文部科学省「令和5年度学校基本調査」では、都市部に比べて地方部では大学等への進学率が依然として低く、特に中山間地域では60%台にとどまっている県もあります。その原因として、経済的要因に加えて「家を継ぐことが決まっている」「大学に行くよりも実家の仕事が大事」といった文化的背景があるとされています。
こうした“家の論理”が本人の意思や可能性を押しつぶし、将来的な自己実現や経済的自立の機会を奪ってしまうとすれば、それは単なる家族の判断を超えて、社会全体が向き合うべき課題と言えるでしょう。
地方創生と家制度──新しい支援策にも潜む“前提条件”
国が推進する地方創生政策も、家制度の影響を完全に切り離すことはできていません。たとえば、農業や伝統産業の担い手不足に対応する「後継者支援」や「空き家バンク」制度の多くは、家業継承や地域定着を前提としています。たとえば、2023年に改正された地域移住支援金制度では、「親の後継者として就業する場合、上限額を引き上げる」といった条件が設けられており、制度の設計自体に“継ぐこと”を前提とした視点が含まれています。
もちろん、家業を継ぐこと自体が悪いわけではありません。しかし、それが「唯一の選択肢」として制度や地域から求められることになれば、自由な人生設計や多様なライフスタイルを受け入れる社会づくりとは矛盾が生じてしまいます。
多様性を前提とした社会づくりのためには、“継ぐ人”だけでなく、“新しい生き方を模索する人”をも支える仕組みが必要です。
まとめ:誰かの期待に縛られることなく、自分の人生を選べる社会へ
家を守る、実家を継ぐ、親の面倒を見る。これらは決して否定されるべきものではありません。むしろ、自らの意思でそうした選択をすることは尊く、地域や家族のつながりを大切にする姿勢は、これからの社会にとってもかけがえのない価値となるでしょう。
けれども、その選択が“誰かの期待”や“地域の空気”によって押しつけられているとしたら、それは「自由な生き方」ではなく、構造的な拘束といえます。
令和の時代に求められているのは、「誰が継ぐか」ではなく、「どう生きたいか」を一人ひとりが問い、選べる社会です。家制度に縛られず、性別にも役割にもとらわれない人生を築ける環境が整えば、地方の未来はもっと多様で、もっと希望に満ちたものになるはずです。
「家のために生きる」のではなく、「自分の人生を生きる」。その一歩を後押しできる地域づくりこそが、本当の意味での地方創生につながっていくのではないでしょうか。
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