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がんサバイバーの就労が当たり前になる社会は何を変えるのか

がんと共に生き、働くことが前提となる社会の入り口に立つ私たち

がんと診断されることは、人生やキャリアの終わりを意味する出来事なのでしょうか。かつてはそう受け止められてきた時代もありましたが、医療技術の進歩によって、その前提は大きく揺らいでいます。日本人の約2人に1人が生涯のうちにがんを経験するとされる現在、がんは特別な誰かの問題ではなく、多くの人にとって身近な現実になりつつあります。

国立がん研究センターによれば、がん全体の5年相対生存率は約66%に達し、部位によっては90%を超える水準も報告されています。この数字が示しているのは、がんと「長く付き合いながら生きる人」が確実に増えているという事実でしょう。そうした変化の中で、治療と仕事をどう両立するか、がんサバイバーがどのようにキャリアを継続していくかという問いは、個人の努力だけでは解決できない社会的テーマへと広がっています。

これは福祉の話題にとどまらず、労働力不足が進む日本社会において、働き方や人材の捉え方そのものを問い直す構造的な転換点だと考えられます。

 

就労継続を阻む心理的ハードルと「びっくり退職」の現実

医療の進歩とは対照的に、就労をめぐる現実には依然として課題が残っています。厚生労働省の調査では、がんと診断された後に離職する人は約3割にのぼるとされています。特に注目すべき点は、その多くが診断から治療開始までの比較的早い段階で退職を決断していることです。

この背景には、病状そのものよりも心理的な動揺や周囲への遠慮が大きく影響していると考えられます。「職場に迷惑をかけてしまうのではないか」「これ以上続けるのは難しいのではないか」といった思い込みが、冷静な判断を難しくしているのでしょう。こうした早期離職は「びっくり退職」と呼ばれ、本人と企業の双方にとって大きな損失につながっています。

実際に働くがんサバイバーの声に耳を傾けると、治療による倦怠感や通院負担以上に、職場での病気に対する理解不足や、過度な配慮によって役割を失うことへの不安が重荷になっている様子がうかがえます。善意から重要な業務を外す対応が、結果としてキャリアの分断や自己肯定感の低下を招く場合もあり、ここには明確な認識のずれが存在するといえます。

現役世代のがん罹患者数は年間約25万人と推計されており、その多くは組織の中核を担う存在です。彼らが職場を去ることは、個人の収入や生活だけでなく、企業にとっても貴重な人的資本を失うことにつながるでしょう。

 

柔軟な制度と職場文化が支える治療と仕事の両立

がんサバイバーが働き続けるためには、従来の一律的な働き方を前提としない制度設計が求められます。短時間勤務や時間単位の有給休暇、リモートワークといった柔軟な選択肢は、治療と就労を両立させる上で現実的な支えになります。治療の副作用や体調の波は個人差が大きく、一定のリズムで働くことが難しい場面も少なくありません。そうした不確実性を受け止められる環境こそが、就労継続の土台になると考えられます。

制度面に加えて重要なのが、医療と職場をつなぐ調整の仕組みです。主治医の判断と実際の業務内容には認識の隔たりが生じやすく、その橋渡しを担う「両立支援コーディネーター」の存在が注目されています。専門的な視点で業務内容を整理し、無理のない働き方を設計することができれば、サバイバーは安心して治療と仕事の両立に向き合えるでしょう。

外来治療が主流となった現在、見た目には健康そうに見えても強い疲労を抱えているケースは珍しくありません。数値や制度だけでは測れない不調に対して、職場全体で理解を深める姿勢が、結果的に長期的な戦力維持につながるといえます。

 

キャリアを途切れさせない発想とインクルーシブな未来

療養期間を単なる空白と捉えるのではなく、キャリアを見直す時間として位置づける考え方も広がっています。病を経験したことで価値観が変化し、働く意味や社会との関わり方を再定義する人は少なくありません。心理学では、こうした変化を「ポスト・トラウマティック・グロース」と呼び、逆境を通じた成長として捉えています。オンライン学習やリスキリング環境が整ったことで、体調に合わせながら知識やスキルを更新することも可能になりました。企業側も、復職を単なる元の状態への回帰と考えるのではなく、経験を通じて得られた視点や強さをどう活かすかという発想を持つことが期待されます。


がんサバイバーの就労支援が当たり前になる社会は、育児や介護、慢性疾患を抱える人にとっても働きやすい環境を生み出します。誰もが人生のどこかで働きにくさに直面する可能性がある以上、柔軟性そのものを社会の標準にしていくことが重要ではないでしょうか。

がんと共に生き、働く選択肢を広げることは、特定の人を支える施策ではなく、社会全体の持続性を高める投資だと考えられます。病気は人生の一部であり、その人の価値を決めるものではありません。経験を重ねながら自分らしいキャリアを描き続けられる社会を築くことが、これからの日本に求められているのではないでしょうか。

カテゴリ
社会

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