偏差値が生み出す市場——学歴コンプレックスはいかにしてビジネスになるか
「賢さ」への渇望が市場をつくる
日本では長年にわたり、学歴が個人の価値を測る重要な指標とみなされてきました。文部科学省の「令和5年度学校基本調査」によれば、2023年度における大学(学部)への進学率は約61%に達しており、高校卒業後に半数以上が大学へ進む時代がすでに定着しています。受験産業の市場規模に目を向けると、経済産業省の特定サービス産業動態統計調査では学習塾・予備校だけで2020年時点に年間約1兆円規模の売上が確認されており、オンライン学習サービスや参考書市場を含めた教育産業全体では2兆8,000億円規模に上ると推計されています。こうした数字は、「頭がよくなりたい」という需要がいかに巨大な市場を支えているかを端的に示しているといえるでしょう。
こうした現象の根底には、学歴というものが単なる知識の証明ではなく、社会的信頼や将来の安定と強く結びついているという共通認識があります。採用実務の現場では、エントリーシートの大学名によって選考の入口が事実上絞られる「学歴フィルター」の存在が長年指摘されており、「どの大学を出たか」という情報が就職活動の初期段階で機能しているという現実は、多くの就活生が肌で感じるところでしょう。そうした構造の中で育った人々が、「もっと賢くあるべきだった」「もっと上の学校へ行けばよかった」という感情を抱えることは、ある意味で必然的な帰結といえます。
「頭がいい」という言葉が持つ力は、単に知識量や論理的思考力を指す以上のものです。それは社会における序列の象徴であり、承認欲求を満たす鍵でもあります。だからこそ、その言葉に付随するコンプレックスは根強く、そして巨大な消費行動を生み出す動力源になっていると考えられます。
学歴コンプレックスを燃料にした産業の仕組み
コンプレックスをビジネスに転換する産業は、教育に限らず多岐にわたります。書籍市場では「東大生の勉強法」「東大卒が教える思考術」といったタイトルが安定した売れ行きを示しており、著者の出身大学が購買意欲に直結する現象は長らく続いています。書籍ランキングを定期的に見ていると、「東大」「賢い」「頭がよくなる」という言葉を冠した書籍が常に上位に顔を出していることに気づきます。
これは偶然ではなく、マーケティングの観点から意図的に設計された結果です。消費者が抱える「自分は賢くない」という感覚、あるいは「もっと賢くなれるかもしれない」という期待を刺激することで、購買行動が促されます。行動経済学の知見では、人は損失回避の傾向が強く、「このままでは賢い人に置いていかれる」という不安が購買の引き金になりやすいとされています。学歴コンプレックスはまさにこの不安と直結しており、ビジネスサイドから見れば非常に扱いやすい感情的動機といえます。
資格取得市場においても同様の構造が見られます。矢野経済研究所の調査によれば、資格取得学校市場は2020年度で約1,830億円規模に上り、語学スクールや通信教育を加えると関連市場全体では数千億円規模に達すると推計されています。本来であれば実務能力を示すはずの資格が、社会的承認を求める手段として消費されるとき、そこにはコンプレックス産業の論理が働いているといえるでしょう。
「賢さ」を定義する者が市場を支配する
コンプレックス産業が持続的に機能する理由の一つは、「頭がいい」の定義が常に揺らいでいることにあります。偏差値が高い、有名大学を卒業した、資格を多く持っている、読書量が多い、論理的に話せる——これらはすべて「賢さ」の指標として語られることがありますが、どれか一つが絶対的な基準になることはありません。この曖昧さが、コンプレックスを解消しようとする行動を際限なく続けさせる仕掛けになっているといえるでしょう。
メディアもこの構造に深く関与しています。テレビのクイズ番組やYouTubeの「頭がいい人あるある」動画、SNSで拡散される「賢い人の習慣」といったコンテンツは、視聴者に「自分はどの位置にいるのか」を意識させ、比較と劣等感を繰り返し喚起します。こうしたコンテンツが高い再生数やエンゲージメントを獲得できるのも、学歴コンプレックスという感情的な土台があってこそです。視聴行動そのものが広告収益を生み出し、コンプレックスが経済を回す仕組みが成立しています。
興味深いのは、こうしたコンテンツの多くが「賢さは誰でも手に入る」というメッセージを発しながら、同時に「今の自分はまだ足りない」という焦燥感を植え付けることで成立している点です。解決策を提示しながら新たな課題意識を生み出すというサイクルは、サブスクリプションモデルや継続課金型のサービスと相性がよく、現代のビジネスモデルとも巧みに接続されています。
学歴社会の外側で「賢さ」を問い直す
こうした産業構造を批判的に眺めるだけでなく、私たちは「頭がいい」という概念そのものを問い直す視点を持つことが求められているように思われます。ハーバード大学の認知心理学者ハワード・ガードナーが1983年に提唱した多重知能理論では、知性は言語や論理・数学に限らず、音楽、身体運動、対人関係、内省、博物学など少なくとも8つの領域に分かれるとされています。この観点に立てば、学歴という一つのものさしで測られる「賢さ」は、人間の知的能力のごく一部を切り取ったものにすぎないといえるでしょう。
日本社会でも、学歴を唯一の評価軸としない動きは少しずつ広がっています。一部のスタートアップ企業では採用時に学歴を不問とするケースが増えており、ポートフォリオや実績を重視した採用が定着しつつある領域もあります。ただし、こうした変化が社会全体に浸透するには相応の時間を要するでしょうし、大手企業を中心とした採用慣行において学歴が依然として一定の機能を果たしている現実は根強く残っています。
重要なのは、コンプレックスを刺激するビジネスが成立していること自体を否定するのではなく、消費者として自分がどのような感情に動かされて行動しているかを自覚することではないでしょうか。「賢くなりたい」という欲求は本来、非常に健全な知的好奇心から生まれるものです。しかしそれが「今の自分では不十分だ」という不安に塗り替えられたとき、その欲求はコンプレックス産業の格好の標的になります。学歴社会が生み出したビジネスの正体を知ることは、その構造に無自覚に取り込まれないための第一歩になると考えられます。
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