“推し”に性別は関係ない?ジェンダーを越える共感の構造

誰を“好き”になってもいい時代へ

「この人を見ていると元気になれる」「なんだか気づいたら応援していた」──そんな気持ちに、説明や理由はいらないのかもしれません。
近年では、年齢や性別を問わず、“推し活”を楽しむ人が増えています。かつては「男性だから」「女性だから」といった枠組みが付きまとっていた“推し”のあり方も、今ではずいぶん自由になってきました。

誰かを推すことに、性別は関係あるのでしょうか?

同性のアイドルに憧れたり、異性のキャラクターに心を奪われたり、あるいは性別を超えた存在に癒やされたり──そのどれもが、自然で正しい“好き”のかたちです。人は、自分にないものや、自分の中に眠っている感情に、ふとしたきっかけで惹かれていくもの。そこには、性別という線引きが入り込む余地はあまりないのかもしれません。

 
推しに性別は必要ですか?変わりゆく“好き”の形

少し前まで、応援する対象には性別による傾向が強くありました。たとえば、女性は男性アイドルを、男性はアニメの女性キャラを──といった具合に、性別と“推し方”がセットになって語られる場面も少なくなかったように思います。
けれど今は、そうしたイメージに当てはまらない人が増えています。女性同士でアイドルを推し合ったり、男性が男性アイドルや俳優に憧れを抱いたりすることは、もはや珍しいことではありません。

SNSや動画配信といった開かれた場所が増えたことで、「好きなものを好きと言いやすくなった」「誰が誰を推してもいい」という空気が、少しずつ社会に浸透してきています。

推し活は、性別や恋愛的な対象を超えて、「この人の姿に勇気をもらった」「生き方がかっこいい」と、もっと広く深い共感に支えられています。それはつまり、「性別ではなく、その人の在り方を好きになる」という感覚が、私たちの中に自然と根づいてきているのではないでしょうか。

 

“共感”と“投影”でつながる、新しい心の距離

人が誰かを推すとき、そこには「自分の気持ちが重なる瞬間」があります。たとえば、地道に努力を重ねている姿を見て「私も頑張らなきゃ」と思ったり、不器用でもまっすぐに進もうとする様子に励まされたり。そうした感情は、推しの性別に関係なく生まれてくるものです。
人は“自分にないもの”にも強く惹かれます。自信を持って話す人に憧れたり、自由に振る舞う人に魅了されたり──それは、理想の自分を重ねる「自己投影」ともいえる心理です。推しは、自分がなりたい姿を映す鏡でもあるのです。

最近では、性別を明確にしないVTuberや、ジェンダーレスな表現をするアーティストも増えてきました。彼らは、性別に縛られず、「声」や「雰囲気」「価値観」など、より本質的な部分で人の心を惹きつけています。推す側もまた、相手の性別よりも「どんな人か」「どんな言葉をくれるか」といった点に注目するようになり、関係性のあり方そのものが変わりつつあります。
“好き”という感情は、案外とても柔軟で、人の数だけかたちがあります。それを誰かに伝えるとき、無理に理由をつけなくても、「なんだか心が動いたから」で、もう十分なのかもしれません。

 
性別を超えた“推し活”がもたらすやさしい社会

“誰でも誰かを推せる”という考え方が広がってきた今、私たちの社会にも少しずつ変化が生まれています。

たとえば、同性を推していることを自然に話せるようになったり、「このキャラクターが好き」と堂々と発信できるようになったり。そこには、自分の“好き”を大切にできる安心感があります。

これは、LGBTQ+の人々にとっても大きな意味を持つことです。“好き”という気持ちを、恋愛や性的な文脈だけでなく、尊敬や共感としても認め合える風土が広がっていけば、自分を隠さずにいられる人も増えていくはずです。
教育現場や家庭のなかでも、「誰を推しているの?」という会話が自然にできるようになれば、子どもたちにとっても“自分らしさ”を表現する大切な一歩になります。
「男の子なのに?」とか「女の子がそんなの好きなの?」といった言葉を無意識に使わないこと。それだけで、その子が“自分の気持ち”を大事にできる場が生まれます。

“推す”という行為は、自分と誰かをつなげるやさしい手段です。そこに性別も年齢も関係なく、ただ「好き」の気持ちがある。それが当たり前になれば、社会全体が少しずつやわらかく、あたたかくなっていくのではないでしょうか。

 

まとめ:“好き”に、境界線はいらない

“推し活”という言葉が広がるなかで、私たちは「好きな人を応援する」という行動の豊かさに気づき始めています。それはただの趣味ではなく、ときに自分を支え、励まし、前向きにしてくれる力になるものです。そして、その“好き”のかたちは、人それぞれ。同性でも異性でも、性別がはっきりしない存在でも、心が動く相手がいれば、それはもう立派な“推し”です。大切なのは、誰かを好きだと感じたその気持ちに、素直になれること。そして、お互いの“好き”を尊重し合えることです。

私たちがもっと自由に、もっとおおらかに“好き”を表現できるようになれば、世界は今より少しやさしくなれる気がします。“推し”に性別は関係ない──この言葉が、もっと自然に広がる未来を、心から願っています。

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趣味・娯楽・エンターテイメント

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