映画監督 原田眞人【OKWAVE アーカイブ|2015年8月取材】
©2015「日本のいちばん長い日」製作委員会
※本記事は、2015年に掲載されたOKWAVE Starsのアーカイブ記事です。
本記事は終戦前日に起きた知られざる史実を描いた『日本のいちばん長い日』(2015年8月8日公開)の原田眞人監督へのインタビューの記事です。
Q 『日本のいちばん長い日』に取り組むきっかけは何だったのでしょうか。
僕は1949年生まれで、1950年代に戦争映画が多かったので、それを観て育っているのが大きいです。とくに僕が影響されたのはアメリカなどの英語圏で作られた戦争映画で、軍人が軍人らしいんですよ。日本映画は逆に軍人が軍人らしく見えないと感じてました。1967年公開の『日本のいちばん長い日』も当時観に行ったんですけど、ドキュメントタッチで描いているとはいうものの、軍人が目を剥いていたり芝居が大げさなのに耐えられませんでした。
その後に半藤一利先生の原作を読むと、昭和天皇が全面に出ていましたので、昭和天皇を描くことができる時代にならないとこの素晴らしいノンフィクション作品の映画化は無理なんだなと感じましたね。だから僕の中では『日本のいちばん長い日』は未完成の映画だと思ってきました。
その後、70年代にはデイヴィッド・バーガミニの「天皇の陰謀」という本が出て大騒ぎになりましたが、日本人だけではなくエドウィン・O・ライシャワーのような知的なアメリカ人も一斉に叩きましたので、昭和天皇関連トンデモ本認定第1号ですね。それから30年経ってハーバード・ビックスが日本の左翼系学者の応援を得て「昭和天皇」というトンデモ本を出してしまうんですが、これがピューリッツァー賞をとってしまったんです。日本でも初版から5万部以上発行したのでベストセラーになっちゃったという。
僕は出版当時のことは知らなくて最近読んだけど間違いだらけです。それはともかく、昭和天皇のことをどんどん描くことができる時代になってきたのかなと。それで2006年にはロシアのアレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』という映画が日本公開されて初日に観に行ったけど、映画の内容は真面目だったけどイッセー尾形さんの演じた昭和天皇は不真面目でしたね。口をモゴモゴさせたり「あ、そう」を連発したり。これは1945年当時の昭和天皇の癖ではないですよ。老後のみんなが知っている昭和天皇の癖で描こうということが違うと思いますね。
当時の昭和天皇は常人とは違った品格があったはずで、マッカーサーも二度目に会った時にはSir(陛下)という敬称をつけて接していたわけです。それをニュース映像などから安易に真似をしてしまうと浅はかになってしまうし、慎重にやらなければならない。リスペクトの問題を非常に感じて、その時からです。
やはり自分が『日本のいちばん長い日』を撮らないとしょうがないんだと。でも、なかなか乗ってくれる映画会社がなくて数年が過ぎて、その頃は諦めていました。
たまたま2013年秋にプロデューサー2人と別の作品の打ち合わせをしている時に、雑談で戦後70年の話題になって『日本のいちばん長い日』のリメイクの話はあるの?と聞いたら「ない」ということだったので、その場で版元の文藝春秋に電話をして聞いてくれたんです。
そうしたら「空いてる」という話だったので、これはもう放っておくことはないよね、ということで、プロデューサー2人が映画化権について動いてもらうことができて、松竹の社長、専務と僕は『わが母の記』以降、良好な関係だったので即決してくれて、そこから脚本を書き始めました。
Q 実際に映画化に向けて動き出してからの準備中のことをお聞かせください。
2013年当時は『駆込み女と駆出し男』の準備中で、その合間に脚本を書いてたんですよ。2014年の1月には脚本を書き終えて、その2週間後に『駆込み女と駆出し男』の撮影が始まって。その間も半藤先生にも読んでもらっていろいろ修正もして、撮影の最後の1週間にはもう“撮影の型”が決まっていたので心半分でも撮れる状態だったので(笑)、昼間は撮影をして、夜ホテルに戻ってからは『日本のいちばん長い日』の改訂稿を書いていたので、ほぼ平行でしたね。忙しかったですけど、初めての時代劇と初めての戦争映画の両方が進んでいったので、とても充実していましたね。
Q 本作で描かれる、当時の政府閣僚たちのやり取りを見ていると何をやっているのだろう…という気持ちになってしまうのですが。
どの年代の人が観てもそうですよ。閣僚たちはバタバタしてるけど何も決められないでしょ。それは今の日本も同じもんですよ。日本人の議論下手なところもあって、侵略戦争に突っ走ってしまった部分もあるだろうし。議論できない政治家たちの間隙を縫って軍部が力をつけてきたわけで。軍部の中にも皇道派と統制派に分かれていて、皇道派が二・二六事件を起こしちゃって。皇道派は英語ではUltranationalist、統制派はConservativeなので、そういった主義主張は今の我々の感覚では推し量れない部分もありますね。
僕自身もこの映画を作りながら、なぜ昭和天皇が彼らの行動に口を挟むことができなかったのかを勉強していました。歴史学者の磯田道史さんは「天皇は神殿の壁」のような扱いを受けてきたと言っています。軍人たちが上奏と称して、“神殿の壁”に向かって好き勝手なことを喋り立てて、承認を得たと思って、作戦を実行してしまうということが満州事変からの15年間、ずっと続いてきたわけです。
映画でも描きましたが、昭和天皇は奥ゆかしい方できちんとした教育も受けていますし、英国の立憲君主制を教え込まれているので、閣議決定したことに意見を挟んで決定を変えることはできないんですよ。だから日米開戦を避けたいと思っていても、そう言えるところまではいけないので、当時の首相が覚悟を決めるべきで。当時の首相の近衛文麿は資料を読めば読むほどよく分からない不思議な人物なんです。
そんな彼が御前会議で昭和天皇を促して出てきた言葉が有名な「よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたちさわぐらむ」という明治天皇の御製なんです。戦争には反対と解釈するのが一般的なんですが、近衛文麿はフォローしてくれないし、軍部もその言葉を聞き流しなんです。結局、神殿の壁だったわけです。そういう状況で戦争に突き進んだので、近衛文麿から東條英機に至るこのラインで日本は急激におかしくなってしまったわけで。昭和天皇もどうなってしまうのだろうという気持ちがあったと思います。戦況が良かった時には喜びを表明しなければならなかったけれど、東京裁判でもその点はまったく問題視されてませんから。
実際、昭和天皇はヒットラーのように局面ごとに国民に「戦え、戦え」と、戦争に駆り立てるような発言はしていないので。戦局が悪くなってくると雲の上に押し上げるようにして状況が分からないようにしてしまうんです。1945年2月になってようやく吉田茂らが首相経験者らの長老たちに働きかけて、昭和天皇に和平の訴えを毎日のようにするという歴史的事実があります。半藤先生が最近出した「原爆の落ちた日[決定版]」に当時のことが詳しく書かれています。その時もこの映画の中の平沼騏一郎のようにはっきりしたことを誰も言わないんです。
だから昭和天皇の「もう一度、戦果をあげてからでないとなかなか話は難しいと思う」という発言につながっていったわけですよ。これを捉えた昭和天皇の戦争責任論があるのは知っていますが、そういう背景があるからこそ、どうしたらいいのか考えた上での4月の鈴木貫太郎内閣の組閣があったのだろうし、映画もそこから始まるんです。
Q 終戦に反対して玉音放送を阻止しようとした畑中少佐たちの描き方についてはどう考えられたのでしょう。
僕は彼らを狂気の行動だったとは思わないんですね。本土決戦の主張はもちろん僕自身も反対ですが、あの当時の軍人ならあくまでも戦おうという気持ちだっただろうし、大本営にいる軍人は士気も高かっただろうから、認めないけど純粋さからの行動なんだと。そういう意味で、清々しい目つきをもった松坂桃李に畑中少佐を演じてもらおうと。その兄貴分の井田中佐にはスターを使いたくなくて、その精神性をお客さんに発見してもらいたかったから、知名度は高くはないけど実力派の俳優を起用しようと、大場泰正を抜擢した。このふたりと、椎崎中佐役の田島俊弥は非常に愛着を持ってキャスティングしましたね。
軍人だからこういう風に演じるというのではなく、松坂桃李が演じているからこその畑中少佐の自然さとかが出ています。それは閣僚側も同様で、下村情報局総裁は歌人でもあるし、服を何度も着替えたという記録もあるのでそういう人間らしさを入れたり。それはある種のユーモアですけど、どこを押しても人間くささが出てると思います。閣僚たちの会議ではみな勝手なことを言っているし、緊急の事態でもまとまらない。その中で昭和天皇と鈴木貫太郎首相、阿南惟幾陸軍大臣の信頼感のようなものを強調したつもりです。
Q 政府と軍部が中心の話ですが、阿南陸相の家族を描いた狙いは?
「家族」が重要なテーマですから。今の日本人には分からないところだと思いますが、かつての日本は昭和天皇が家族の家長みたいなものなので、単に崇めるだけでなく妻や子どもたちがいる延長上に天皇陛下がいる、という時代なので。一方で鈴木貫太郎がお父さんで昭和天皇が長男、阿南惟幾が次男という擬似家族的な見方もあるんじゃないかなと。その中で気をつけたて描いたのが女性の役割のことですそれを忘れてしまうと家族構成のイメージが弱くなってしまうので、鈴木、阿南のふたりも家族の一員として最初から見せているし、そこでの女性の役割が一歩でも目立つようにドラマの中に入れてますね。
Q 映画としてはこの“一番ながい日”の出来事を手に汗を握って面白く観てしまいました。
ドキュメンタリーではないのでそれでいいと思います。むしろ面白さが出てこないとダメだとも思いますし。僕も「この人おもしろいな」と人物像に惹かれて作っているので。昭和天皇が東條英機を言い負かすシーンは、東條英機の奏上は史実通りですが、昭和天皇がどう切り替えしたかは記録が残っていないので、ナポレオンについて触れた後半の言葉は別のところで語られた引用ですが、前半部分は昭和天皇がウィットに富んだ切り返しをしたらきっとこう言うだろうと。そうすることで、昭和天皇のことをより興味深く観てもらえるだろうなと思います。
Q 原田眞人監督からOKWaveユーザーに質問!
皆さんは歴史を正しく理解していますか?
僕が中学・高校の頃から近代史は学校では習わなかったので間違って解釈していることがすごく多かったですよ。
たとえば、ポツダム宣言はポツダム会談から生まれたと思われていますが、日本の降伏勧告は公式議題には挙げられてないということを知っていましたか?
また、トルーマン米大統領が原爆投下を推し進めたけれど、当時米政府内でも非人道的だという反対派がいたというあまり知られていない事実もあったのを知っていますか?
そういったところから皆さんの歴史観などを聞きたいです。
■Information
『日本のいちばん長い日』
2015年 8月8日(土)全国ロードショー!
太平洋戦争末期、戦況が困難を極める1945年4月、鈴木貫太郎内閣が発足。そして7月。連合国は日本にポツダム宣言受諾を要求。降伏か、本土決戦か。
連日連夜、閣議が開かれるが議論は紛糾、結論は出ない。そうするうちに広島、長崎には原爆が投下され、事態はますます悪化する。
“一億玉砕論”が渦巻く中、決断に苦悩する阿南惟幾陸軍大臣、国民を案ずる昭和天皇、聖断を拝し閣議を動かしてゆく鈴木貫太郎首相、首相を献身的に支え続ける迫水久常書記官。一方、畑中健二少佐ら若手将校たちはクーデターを計画、日本の降伏を国民に伝える玉音放送を中止すべく、皇居やラジオ局への占拠へと動き始める…。
監督・脚本:原田眞人
原作:半藤一利「日本のいちばん長い日 決定版」(文春文庫刊)
出演:役所広司 本木雅弘 松坂桃李 堤真一 山﨑努 ほか
配給:アスミック・エース、松竹
公式サイト:
nihon-ichi.jp
©2015「日本のいちばん長い日」製作委員会
©2015「日本のいちばん長い日」製作委員会
■Profile
原田眞人
1949年生まれ、静岡県沼津市出身。
黒澤明、ハワード・ホークスといった巨匠を師と仰ぐ。1979年、『さらば映画の友よ』で監督デビュー。『KAMIKAZE TAXI』(1995)がフランス・ヴァレンシエンヌ冒険映画祭で准グランプリ及び監督賞を受賞。社会派エンタテインメントの『金融腐蝕列島 呪縛』(1999)、『クライマーズ・ハイ』(2007)から、モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリ受賞の『わが母の記』(2012)や、モンテカルロTV、映画祭で最優秀監督賞を受賞した『初秋』(2012)など小津安二郎作品に深く影響された家族ドラマまで、作品の幅は広い。『ラストサムライ』(2003)では俳優としてハリウッドデビュー。2015年には念願の初時代劇『駆込み女と駆出し男』が公開された。
※本記事は、2015年に掲載されたOKWAVE Starsのアーカイブ記事です。
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