ピタゴラスの哲学から現代環境問題へと続く、ビーガンの系譜

二千五百年の思想と科学が交差するビーガンという選択

私たちの食卓は、思っている以上に長い歴史と深い思想の上に成り立っているのではないでしょうか。日々の献立を決めるという行為は、単なる好みや栄養バランスの問題にとどまらず、人間が他の生命とどのような関係を築くのかという問いを内包しています。ビーガンという言葉に、流行や極端な健康志向のイメージを抱く方もいるかもしれませんが、その背景を丁寧にたどると、古代哲学から現代の環境科学に至るまでの連続した思索の積み重ねが見えてきます。

 

古代ギリシャに芽吹いた生命観と菜食思想

動物性食品を避ける実践は、決して現代に始まったものではありません。紀元前6世紀のギリシャに生きたピタゴラスは、数学者であると同時に宗教的思想家でもありました。彼は輪廻転生の思想を背景に、人間と動物の魂は連続していると説いたと伝えられています。動物を殺す行為は魂の循環を乱す可能性があるという考え方は、当時の宗教儀礼に対する問いかけでもありました。

19世紀半ばに「ベジタリアン」という語が広まるまで、欧米では菜食主義者を「ピタゴリアン」と呼ぶ慣習があったと記録されています。つまり、菜食は単なる食事法ではなく、生命観と結びついた哲学的実践であったといえるでしょう。人間中心の価値観を問い直す試みは、時代を超えて繰り返されてきたテーマであり、現代のビーガン思想もその延長線上に位置づけられると考えられます。

 

産業革命と倫理的消費の広がり

18世紀後半から始まる産業革命は、食肉の生産と流通を大きく変えました。都市化と分業化が進む中で、消費者は屠畜の現場から切り離され、肉は加工品として流通するようになります。この構造変化に対し、1847年に英国で設立されたベジタリアン協会は、菜食を個人の信条から社会運動へと発展させました。これは世界初の組織的な菜食団体とされ、当時の会員数は数百人規模であったと記録されています。

1944年にはドナルド・ワトソンが「ビーガン」という言葉を提唱し、乳製品や卵も含めて動物由来の搾取を避ける立場を明確にしました。創設時の会員は数十人に過ぎませんでしたが、その理念は倫理的消費という概念の萌芽として評価されています。大量生産と大量消費が進む社会に対し、別の選択肢を提示する動きは、食のあり方を再考する契機となったといえるでしょう。

 

科学的エビデンスが示す環境と健康への影響

21世紀に入り、菜食の意義は哲学的議論にとどまらず、数値データによっても検証されるようになりました。2018年に発表されたオックスフォード大学の研究では、肉や乳製品中心の食生活を植物性中心に転換した場合、食事由来の温室効果ガス排出量を最大で約70%以上削減できる可能性が示されています。前提条件によって差はありますが、環境負荷軽減に寄与する効果が見込まれることは複数の研究で確認されています。

国連食糧農業機関(FAO)は、畜産部門が世界の温室効果ガス排出量の約14%前後を占めると報告しています。この割合は交通部門と同程度の規模であり、食生活の選択が気候変動対策の一要素となり得ると考えられます。健康面に関しても、医学誌『The Lancet』が提唱するプラネタリー・ヘルス・ダイエットは、植物性食品を中心とした食事が心血管疾患のリスク低減に関連する可能性を示しました。過度な赤肉摂取が生活習慣病と関連するとの報告は多く、適切に設計された菜食は健康維持に役立つといえるでしょう。
ただし、ビタミンB12や鉄分など不足しやすい栄養素があるため、計画的な食事設計が重要であると考えられます。

経済面では、Bloomberg Intelligenceが、植物由来食品市場が2030年までに約1600億ドル規模に拡大する可能性を示しています。世界人口が約80億人に達した現在、持続可能なタンパク源の確保は国際的課題といえます。代替肉や植物性ミルクの技術革新は、消費者の選択肢を広げると同時に、新たな産業分野を形成していると考えられます。

 

多様な価値観が共存する食の未来へ

ビーガンという選択は、全員に同じ行動を求めるものではありません。例えば日本には精進料理の伝統があり、大豆加工や出汁文化が発達してきました。完全な植物性食事を実践しなくても、週に一度肉を控えるなどの小さな取り組みが積み重なれば、社会全体の環境負荷軽減につながる可能性があります。

古代ギリシャの生命観から現代の環境経済学に至るまで、菜食の思想は形を変えながら受け継がれてきました。食卓の選択は、健康、倫理、環境、経済といった複数の視点を横断する総合的な意思表示といえるのではないでしょうか。対立ではなく共存を目指す姿勢が広がるならば、多様な価値観が尊重される社会の実現が期待されます。私たちが何を食べるかという問いは、未来の社会像を映し出す鏡であり続けると考えられるでしょう。

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生活・暮らし

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