欧米の常識を覆した日本発の味覚:なぜ「旨味」は世界共通語になったのか
世界が認めた「第5の味覚」旨味とは何か
私たちが日々感じている「美味しい」という感覚は、単なる好みではなく、生理学的な根拠を持つ現象です。かつて西洋では、味覚は甘味・酸味・塩味・苦味の四つで説明できると考えられてきました。しかしその前提を覆したのが、日本人科学者・池田菊苗博士の研究でした。
1908年、東京帝国大学の池田博士は昆布だしの味の正体を解明しようと試み、昆布に含まれるグルタミン酸を抽出します。そしてそれが既存の四味とは異なる独立した味覚であると結論づけ、「旨味」と名づけました。この成果は画期的でしたが、当時の欧米では長らく受け入れられなかったのです。旨味は単なる風味の強化にすぎないという見方が主流だったといえます。
状況が大きく変わったのは2000年です。米国マイアミ大学などの研究により、ヒトの舌にはT1R1/T1R3と呼ばれる旨味専用受容体が存在することが分子生物学的に証明されました。この発見によって、旨味は生理学的に独立した味覚であると国際的に認められるに至ります。100年以上前の仮説が科学的に裏付けられた瞬間だったと考えられます。
科学で読み解く旨味成分と相乗効果の仕組み
旨味を構成する主要成分は三つあります。植物由来のグルタミン酸、動物性食品に多いイノシン酸、そして干し椎茸などに含まれるグアニル酸です。和食で昆布と鰹節を組み合わせる理由は、経験則だけではありません。そこには明確な科学的根拠が存在します。
異なる種類の旨味成分を組み合わせると、味の強度が飛躍的に増幅する「相乗効果」が生じます。研究では、グルタミン酸とイノシン酸を適切な比率で組み合わせた場合、単独使用時と比較して約7~8倍の強さに増強されることが示されています。この数値は味覚官能試験に基づくデータです。料理人が「合わせだし」にこだわる背景には、この生理的現象があるといえるでしょう。
この原理は世界各国の料理にも見られます。フランス料理のブイヨンや中華料理の湯も、肉や骨、野菜を組み合わせて旨味を抽出しています。人類は科学的説明が与えられる以前から、経験的に旨味の相乗効果を活用してきたと考えられます。
減塩と健康に寄与する旨味の可能性
旨味の価値は美味しさにとどまりません。健康分野でも重要な役割が期待されています。世界保健機関(WHO)は成人の食塩摂取量を1日5g未満に抑えることを推奨していますが、日本人の平均摂取量は約10g前後とされ、依然として高い水準です。
旨味を活用すると、塩分を減らしても満足感を維持しやすいことが分かっています。日本の研究では、旨味を加えることで食塩使用量を約30~40%削減できる可能性が報告されています。味の満足度を保ちながら減塩が可能になる点は、高血圧や心血管疾患予防の観点からも意義が大きいと考えられます。
さらに、旨味は唾液分泌を促進する作用を持ちます。酸味による刺激は一時的ですが、旨味による唾液分泌は比較的持続性があることが確認されています。この特性は高齢者の口腔乾燥や嚥下機能の低下対策にも応用されつつあり、医療・介護現場での活用も広がりが見込まれます。味覚研究がウェルビーイングと直結する領域へと発展している点は注目に値するでしょう。
持続可能な食文化を支えるUMAMIの未来
UMAMIという言葉は今や国際語となりました。英語辞典にもそのまま掲載され、世界のトップシェフが積極的に取り入れています。その背景には、持続可能な食の実現という課題があります。
植物由来食品だけで肉のような満足感を再現するには、旨味の科学が不可欠です。トマトや味噌、醤油、発酵食品には豊富なグルタミン酸が含まれており、プラントベース食品の開発に活用されています。国連は世界人口が2050年に約97億人に達すると予測しており、食料供給の持続性が重要課題になると見込まれます。これらは動物性資源への依存を抑えながら満足度を保つ技術として、旨味は大きな可能性を秘めているといえるでしょう。
旨味は単なる味覚ではなく、文化と科学を結びつける存在です一杯の味噌汁に含まれるだしのうまさは、単なる伝統の味ではありません。そこには科学的な裏付けと長い歴史の知恵が詰まっています。
このように日常の食事を少し意識するだけで、その奥深さに気づけるのではないでしょうか。身近な「おいしい」の中に、世界が認めた科学が隠れていると考えると、食事の時間が少し特別に感じられるかもしれません。
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