都市の風景は誰がつくる?公共性とデザインの責任
私たちが毎日目にしている都市の風景──ビルが立ち並ぶ大通り、緑のある公園、駅前の広場、歩道やベンチ、街路樹の配置に至るまで──それらはすべて、ある種の意図と設計のもとに形づくられています。けれども、その意図がどこから来て、誰のためのものなのかを意識する機会は、実は多くありません。都市空間は一人ひとりの暮らしに密接に関わる「環境」であり、その設計には公共性という視点と、それを支えるデザインの責任が求められています。
公共性が都市デザインにもたらす役割
都市における「公共性」とは、特定の個人や企業の利益に偏らず、すべての市民が公平に利用できる環境を意味します。たとえば、東京23区内では約4,000カ所の公園が整備されており、その多くが高齢者、子ども、障がいのある方々を含めた誰もが利用できるようにバリアフリー設計が施されています。国土交通省が示す都市公園法の基準でも、バリアフリーやユニバーサルデザインの採用が推奨されており、「すべての人に開かれた空間」が制度的にも支えられていることがわかります。
しかし、利便性や機能性だけでなく、「その空間に居たくなるか」「人と人とのつながりを生むか」といった情緒的な側面も都市空間の質を左右します。単に整っているだけでは、都市は“通過する場所”にとどまってしまいます。人が集まり、過ごしたくなる場所には、視覚的な心地よさや、風景としての調和、美しさが不可欠です。つまり、公共性とデザイン性、この2つを両立させることが都市設計の要なのです。
都市の風景をつくる「見えない手」と責任の所在
都市空間を設計する主なプレイヤーは、行政、都市計画家、建築家、デベロッパーなどの専門家です。例えば、大阪市が2023年に進めた「うめきた2期地区開発プロジェクト」は、行政と民間企業の共同によって進められた再開発事業で、敷地面積約17ヘクタールの中に、都市型公園やオフィス、商業施設、住宅が一体となった空間を創出しました。こうした大規模プロジェクトでは、都市計画の専門性が不可欠である一方、住民や地域の声が十分に反映されるかどうかも重要な課題です。
現代では、市民参加型のまちづくりも少しずつ浸透してきています。たとえば横浜市の「都心臨海部再生マスタープラン」では、市民の意見を取り入れたワークショップが行われ、将来の街の風景について市民自らが考える機会が設けられました。このように、都市の風景を「誰かが勝手に決めるもの」ではなく、「共につくるもの」として捉える動きが、次第に広がりつつあります。
デザインの感性を育てる教育の必要性
都市空間の設計に関心を持ち、自ら関与するためには、子どもの頃からの教育が欠かせません。現在、一部の中学校や高校では、「まちづくり」をテーマにしたプロジェクト学習が実施されており、生徒が自らの地域を観察し、理想の駅前や公園を模型や図面で表現する取り組みも見られます。2022年度の文部科学省調査によれば、全国で約1,200校がこうした探究的な学習に取り組んでおり、都市や環境について考える機会は徐々に増えています。
このような教育を通じて育まれるのは、単なる美的センスではなく、「誰かのためを考えるデザイン感覚」です。それは将来、都市計画や建築の道を選ばないとしても、日常の暮らしの中で環境に対する意識を高め、参加意識を持つ土台となっていくでしょう。
まとめ:都市の風景は「誰かのもの」ではない
都市の風景は、決して誰か一人の手によって形づくられるものではありません。それは、行政やデザイナーの設計だけでなく、そこに暮らす私たちの視線や行動、そして声によって日々少しずつ変化し、育まれていく「共創の風景」なのです。ベンチの配置ひとつ、街路樹の緑、歩道の幅や段差──何気ない風景のすべてが、誰かの暮らしを支え、誰かの思い出になるかもしれない。だからこそ、その風景にどんな意味や責任を込めるかを、私たちはもっと意識していく必要があります。
都市は完成された作品ではなく、常に更新され続けるキャンバスです。そこに描かれる色や形は、一人ひとりの参加によって変わっていきます。見過ごしていた街の一角に目を向けること、声を届けること、小さな関与を始めること──そのすべてが、未来の都市を豊かにする第一歩となるでしょう。
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