“モテ”の価値観を問い直す:ジェンダー視点で見直す魅力のかたち
好かれることより、大切なことがある
人に好かれること、いわゆる“モテる”ことは、長らく価値あるものとして受け止められてきました。学校での人間関係、職場での印象、さらには家族やメディアから受ける期待においても、「異性からの人気」は一種のステータスとして語られる場面が少なくありません。しかし、この“モテ”の価値観は本当にすべての人にとって健やかなものなのでしょうか。性別や年齢、性的指向にかかわらず、私たち一人ひとりが自分らしく生きるためには、誰かに“好かれるための自分”を演じるのではなく、“本来の自分”を大切にできる環境が必要です。
職場や学校に残る“モテバイアス”とジェンダーのすれ違い
社会の中で“モテる”ことが無意識に評価に影響を与える場面は少なくありません。たとえば職場では、能力とは直接関係のない「人当たりの良さ」や「清潔感のある外見」が評価に結びつくことがあり、ジェンダーによって期待される振る舞いや印象が異なります。女性には柔和さや共感力、男性にはリーダーシップや積極性が求められるといった構図は、依然として根強く残っているのが現状です。
教育現場でも、“モテる生徒=好感度が高く、集団の中心にいるべき”というような見えない圧力が存在します。その結果、子どもたちは自分の個性よりも「受け入れられる振る舞い」を優先しがちになります。特にLGBTQの子どもたちは、異性愛を前提とした“モテ”の価値観の中で、居場所を見つけにくくなってしまうことがあります。そうした環境では、自己肯定感の低下や孤立感につながるリスクも見過ごせません。
家庭に潜む“好かれる子”への期待と無意識の刷り込み
家庭は、子どもが初めて社会的な関係性を学ぶ場でもあります。その中で「男の子なんだから元気に」「女の子なんだから優しく」といった言葉が無意識に使われることがありますが、それが“モテるための正解”として刷り込まれてしまうことがあります。服装や髪型、話し方といった選択にまで影響を及ぼすようになると、子どもは“ありのままの自分”ではなく、“評価されやすい自分”を演じようとしてしまいます。
このような家庭内での期待は、悪意のない善意から生まれている場合も多いですが、それでも結果的に、個人の表現の自由を制限してしまうことがあります。とりわけ、自分の性の在り方に違和感を持つ子どもにとっては、「他人から好かれること」に重点が置かれすぎると、内面とのギャップが大きな負担となってしまう可能性があります。
新しい“魅力”のかたちへ:多様性と尊重の価値を見つめ直す
これからの社会では、“モテ”という言葉が指し示す価値そのものを問い直す必要があります。誰かに選ばれることよりも、自分自身の意思や選択を尊重されることのほうが、はるかに重要です。企業における人事評価や学校での人間関係においても、「誰に好かれているか」ではなく「どのような行動や発言をしているか」に目を向けることが求められます。近年では、職場でもダイバーシティ推進の一環として、性別や見た目に関わらず能力を評価する制度が導入されつつあります。また学校教育では、性の多様性を扱う授業が広がり始め、子どもたちに「自分らしくあること」の大切さを伝える動きも見られます。
“モテる”ことを目標にするのではなく、自分を大切にし、他者を尊重する姿勢こそが、これからの「魅力」の新しい定義になるのかもしれません。
まとめ:他人に好かれるより、自分を受け入れること
誰かに認められることはうれしいものです。しかし、そのために自分の個性を曲げたり、他人の期待に合わせて無理をしたりする必要はありません。社会の側が一つの理想像を押しつけるのではなく、さまざまな「あり方」を受け入れ、それぞれの価値観を尊重できることが、これからの共生社会を築くために欠かせない視点です。
“モテ”という言葉に縛られるのではなく、その言葉を自分なりに再定義し、必要ならば手放す勇気を持つこと。それが、真に自分らしく生きるための第一歩になるのではないでしょうか。魅力とは、他者の目を意識した先にあるものではなく、自分自身の選択や生き方の中から自然と育まれていくものなのでしょう。
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