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ローマ字表記見直しが問う“日本語の国際性”

SNSや観光業、国際的なビジネスの場面など、日本語が多様なかたちで世界に発信される機会が増えるなか、「ローマ字表記のルールをどうするか」が改めて注目されています。駅名の案内板やパスポートの氏名、Webサイトや商品ロゴなど、私たちが思っている以上にローマ字は日常に浸透しています。しかしその一方で、ローマ字表記に一貫性がなく、情報の混乱や誤解を招く事例も少なくありません。

 

ローマ字のルーツと多様な表記方式の共存

日本語のローマ字化は、明治期の西洋化と共に導入されました。外交や学術、教育など、国際的な場での円滑なコミュニケーションが求められる中で、漢字やかなに代わり、ラテン文字を用いた日本語表記が必要とされたためです。以来、日本語の音をどのように表現するかという問題に対して、複数の方式が併存してきました。最も広く使われているのが「ヘボン式」ですが、公的には「訓令式」も根強く存在しており、学校教育では混在した形で教えられることもあります。たとえば「し」は「shi」なのか「si」なのか、「つ」は「tsu」か「tu」かといった具合に、音の表記が状況に応じて変化しやすく、結果として一貫性のない運用が各所で見られます。
この表記の揺れは、公文書や証明書でも見られる問題であり、パスポートと運転免許証で同じ氏名が異なる綴りで記載されることもあるなど、実務面での混乱を引き起こしています。これは単なる表記の問題にとどまらず、国際的な信頼性やアイデンティティの明確性にも関わる課題といえるでしょう。
また、文部科学省は2024年版学習指導要領において、小学校英語教育の中でローマ字を扱う際の指導方法を整理し直す方針を発表しています。背景には、「学校で学んだローマ字が社会で使われていない」という教育現場からの声があり、実生活と学習内容のズレが課題となっています。

 

観光とSNSが突きつける「伝わる日本語」の必要性

日本政府観光局(JNTO)の統計によれば、2024年4月時点での訪日外国人旅行者数は単月で304万人を突破し、過去最高を記録しました。外国人観光客にとって、ローマ字表記は日本の言語・文化に触れる第一歩です。
ところが、観光庁が2023年に実施した「多言語案内表記の実態調査」では、訪日客の27.8%が「地名や案内標識の表記がわかりづらい」と回答しています。特に漢字・仮名とローマ字の一致性がない例や、異なる表記方式が併用されているケースに対する混乱が目立ちました。
また、SNSを通じて発信される日本文化のキーワード──たとえば「ramen」「onsen」「shoyu」「umami」など──は、ローマ字のまま海外に広がっています。しかし、それぞれの綴りが投稿者によって異なる場合があり、検索性や正確性に影響を与えている実情もあります。たとえば「おにぎり」が「onigiri」「omusubi」「riceball」など、文脈ごとに異なる表現で使われるため、海外ユーザーにとっては意味が不明瞭になっている場合もあるのです。

 

表記は文化の翻訳ではなく、文化そのもの

ローマ字表記の選択には、単なる音の写しではなく、「どう見せたいか」「どのように理解されたいか」という文化的な意識が込められています。「Tokyo」と書くか「Toukyou」と書くか、「Osaka」か「Oosaka」か。この違いは、国際的な分かりやすさを優先するのか、日本語本来の音や意味を重視するのかという立場の違いを反映しています。
たとえば「ふじさん」は「Fujisan」なのか「Mt. Fuji」なのか。観光ガイドで後者が使われることが多いのは、海外の読者にとって理解しやすいという利点があるためです。しかし同時に、「さん」という語に込められた敬意や文化的背景が省略されてしまうという側面もあります。
こうした選択は、どちらが正解というものではなく、目的に応じた表現が求められる場面といえるでしょう。とはいえ、基本となる共通ルールが存在しない状態では、発信者の意図が誤解されるリスクも避けられません。

 

制度化の動きと現場でのジレンマ

文化庁は2023年度の「文化政策基本方針」において、言語景観整備の一環としてローマ字表記の標準化の必要性を明記しました。また、観光庁も「地域観光資源の多言語化支援事業」として、自治体や観光施設向けに表記ガイドラインの導入を促進しています。
しかし、現場には多くのジレンマも存在します。伝統的な呼称を守る地域文化、地域住民の感覚、自治体ごとの財政的余力などが関係し、一律のルールを定着させることは簡単ではありません。特に「Osaka」と「Oosaka」のように、従来の商標や企業ロゴと表記ルールが衝突する事例では、再表記による費用とブランド価値の維持という問題も浮上します。
このような状況の中、専門家の間では「完全な統一」よりも「目的に応じた使い分けと共通理解の形成」が重要であるという見解が広がっています。つまり、教育・行政・観光・文化発信など、それぞれの領域で基準を設けつつも、柔軟に表記の多様性を許容するアプローチが現実的なのです。

 

まとめ:ローマ字表記は“国際化のインフラ”である

ローマ字表記は、単にアルファベットを使った音の置き換えではなく、日本語という言語の「国際的な顔」として機能しています。そしてそれは、日本語の伝達力だけでなく、日本文化の印象や信頼性にも関わる、いわば言語の“インフラ”といえる存在です。
急速に変化するグローバル社会において、日本語を的確に、そして魅力的に伝えるためには、目的に応じた表記ルールの整備と、それを支える文化的リテラシーの共有が不可欠です。制度的な統一と柔軟な運用、そして社会全体での理解と合意形成──それらが両立する新たな「ローマ字表記のかたち」が、いま求められているのではないでしょうか。

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社会

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