更年期は個人の問題ではない──1.9兆円損失が示す社会課題

音もなく忍び寄る「更年期離職」の危機と、デジタルが示す新たな処方箋

働き盛りと呼ばれる年代に差しかかる頃、理由をうまく説明できない体調不良や精神的な揺れに戸惑いながら、仕事を続けている人は少なくありません。集中力が続かず、感情の起伏が大きくなり、これまで当たり前にこなせていた業務に強い負荷を覚える。そうした変化は、本人の努力不足や自己管理の問題として受け止められてきた側面があります。しかし現在、それらの背景にある「更年期」という身体的変化が、個人の問題にとどまらず、社会全体の構造的課題として捉え直されつつあります。

NHKや民間シンクタンクの調査によれば、更年期症状を理由に退職や昇進辞退に至る、いわゆる「更年期離職」による経済損失は、年間で約1.9兆円に達すると推計されています。この数字は、更年期が単なる健康問題ではなく、日本の労働力構造そのものに影響を及ぼしている現実を示しています。本来であれば、経験や判断力を活かし続けられたはずの人材が、十分な支援を受けられないまま職場を離れている状況は、個人にとっても社会にとっても大きな損失といえるでしょう。

更年期に伴う症状は、性別によって現れ方に違いはあるものの、仕事や生活の質に深く関係します。女性では、閉経前後のホルモンバランスの変化により、ほてりやめまい、不安感、抑うつ傾向が生じやすくなります。男性の場合は、加齢に伴うテストステロンの低下によって、強い疲労感や意欲の減退、集中力や判断力の低下が表れることがあります。それでも多くの人が医療機関を受診せず、不調を抱えたまま日常を送ってきました。業務の忙しさに加え、更年期という言葉が持つ固定的なイメージが、相談への心理的な壁となってきたことも一因と考えられます。

こうした状況に変化をもたらしているのが、オンライン診療とデジタル・ヘルスケアの広がりです。時間や場所の制約を受けにくく、プライバシーを保った状態で専門医に相談できる環境は、現代の働き方と高い親和性を持っています。通院のために長時間を割く必要がなく、自宅や職場から短時間で診療を受けられる体験は、更年期治療に対する心理的なハードルを着実に下げつつあります。

 

性別の枠を超えて広がる、男性更年期へのデジタルアプローチ

更年期は長らく女性特有の問題として語られてきましたが、医学的知見の蓄積により、男性更年期、いわゆるLOH症候群の影響も明確になってきました。特に責任ある立場にある人ほど、不調を周囲に打ち明けにくく、結果として症状を深刻化させてしまう傾向が見受けられます。

この点において、オンライン診療は男性更年期と高い相性を示しています。対面受診に抵抗を感じる場合でも、非対面に近い環境であれば現状を説明しやすく、早期の診断につながりやすくなります。自宅で採血できる検査キットとオンライン診療を組み合わせ、ホルモン値を数値として把握したうえで治療を進めるケースも増えています。客観的なデータに基づく説明は納得感を生みやすく、治療の継続を後押しする要因になっているといえます。

 

アプリが可視化する「揺らぎ」と、個別最適化されたケア

更年期症状の難しさは、体調が日によって大きく変動する点にあります。好調な日と不調な日が交互に訪れることで、自身でも状態を把握しにくくなり、周囲から理解を得られないこともあります。こうした曖昧さを整理する手段として、体調管理アプリの活用が広がっています。

最新の更年期ケアアプリでは、ユーザーが入力した症状の記録をAIが分析し、どのようなタイミングで不調が起こりやすいかを可視化する機能が備わっています。例えば、睡眠時間や食事の内容、仕事のストレス度合いと症状の相関関係がグラフ化されることで、漠然とした不安が「コントロール可能なデータ」へと変割っていきます。こうしたセルフモニタリングの習慣は、医師の診察を受ける際にも非常に有効な資料となり、より精度の高い、個々の体質に最適化された治療方針の策定を可能になります。

また、アプリを通じて提供されるコミュニティ機能や、専門家によるチャット相談も、孤立感を解消する一助となっています。更年期は「自分だけが苦しい」という感覚に陥りやすい時期ですが、同じ悩みを持つ人々とつながり、正しい情報にアクセスできる環境があるだけで、心理的な負担は大幅に軽減されるはずです。テクノロジーは単に効率を追求するだけでなく、人の心に寄り添い、安心感を提供するというエモーショナルな価値も併せ持っていることが、現在のデジタル・ヘルスケアの興味深い側面といえるのではないでしょうか。

 

企業の競争力として再定義される、更年期支援の未来

労働力不足が進行する日本社会において、更年期を理由に経験豊富な人材が職場を離れることは、企業にとっても大きなリスクとなります。そのため、更年期ケアを福利厚生の一環として位置づけ、オンライン診療やデジタルツールの活用を支援する動きが広がり始めています。匿名で専門医に相談できる仕組みや、正しい知識を共有する取り組みは、社員の安心感を高め、組織全体の信頼関係を強化する効果が期待されます。

更年期は、衰退の兆しではなく、人生とキャリアを再調整する重要な局面と捉えることができます。デジタル技術は、その移行期を一人で抱え込まずに済む環境を整えつつあります。オンライン診療やアプリが自然な選択肢となることで、年齢や性別に縛られず、自分らしい働き方を続けられる社会。その実現は、すでに現実的な段階に入りつつあるのではないでしょうか。

カテゴリ
健康・病気・怪我

関連記事

関連する質問