【トヨタ自動車創業史①】二番手の苦悩と覚醒:豊田喜一郎、創業者一族の宿命と事業家精神
本記事は、ポッドキャスト番組「二番経営」の豊田喜一郎編の内容をベースに番組と違う角度のテーマの内容を記事化したものです。
「No.2」から「創業者」へ
豊田喜一郎の物語は、「二番手」の立場から自らの意志で新たな道を切り拓いた軌跡です。
豊田佐吉という偉大な発明家の息子として生まれた喜一郎。無口で目立たない少年は、自らの意志で紡織の道に進むのではなく、父の事業を手伝うという「二番手」としてのキャリアをスタートさせました。
しかし、彼の中に眠っていた野心と才能は、やがて日本の自動車産業の礎を築くことになります。
父・佐吉の影
豊田佐吉は質実剛健な発明家でした。小学校卒業後に独学で織機の発明に邁進し、豊田式織機株式会社を興すまでになった人物です。
喜一郎は、そんな父の背中を見て育ちました。父は「学校など不要」と考え、中学卒業後に喜一郎を自分の下で鍛えるつもりでした。しかし、母・浅子の必死の説得により、喜一郎は旧制高校、そして東京帝国大学へと進学することになります。
この選択が、後の喜一郎の人生を大きく変えることになります。
東大時代の価値観形成
東大時代、喜一郎は「口数が少なく、学友との付き合いもあまり行わない、一種の変人」と評されていました。しかし、喜一郎には芯のある価値観がありました。
大邸宅を見た際、級友が「こんな贅沢が存在するから貧民窟が後を絶たないのだ」と言ったとき、喜一郎は「それは違う」と反論します。彼は「能力と努力の差がつくことが現実の姿だ。しかしそれかと言って財を独占することはいけない。能力あっても機会に恵まれない人たちに財力を分けてチャンスを与えることを考えるのが正しい」と主張しました。
この価値観は、後のトヨタグループの経営哲学にも通じるものがあります。
紡績から自動織機、そして自動車へ
1921年、喜一郎は豊田紡織に入社します。父からの指示は「紡績をやれ」でした。彼は真面目に取り組みましたが、心の中では自動織機の開発に強い関心を持っていました。
父に内緒で自動織機開発に着手した喜一郎。見つかっては叱られ、また隠れて開発を続けるという日々を送りました。ある日、設計をしていると背後から「ウーン」と声がして振り返ると、それは佐吉でした。「その設計もなかなか面白そうだ。自動織機の研究やっても良い、紡績も怠るな」と認められたのです。
ここで興味深いのは、親の反対を押し切ってまで何かをやり遂げようとした経験が、後の自動車開発への執念につながったのではないかということです。
自動車開発への執念
1929年、英国プラット社との特許権譲渡契約調印のためイギリスを訪れた喜一郎は、かつて栄華を誇った同社の急激な没落を目の当たりにします。この経験が彼に「繊維機械メーカーの将来性」への疑念を抱かせ、自動車産業への進出を考えさせる契機になったと言われています。
1930年、欧米視察から帰国した彼は、豊田自動織機製作所の一角に研究所を設け、小型エンジンの研究を始めました。周囲からは「道楽」と言われながらも、彼は研究を続けます。
そして1933年、ついに豊田自動織機製作所に「自動車部」が設立されます。しかし、この決断には豊田利三郎をはじめとする役員たちからの大きな反対がありました。
豊田利三郎との対立
豊田利三郎は喜一郎の義理の弟であり、豊田グループの総帥として経営を任されていました。利三郎はグループを守る責任があり、「大財閥でも手に負えない自動車に田舎財閥が手を出したら、自動織機も紡織も危うくなる」と考えていました。
この対立は、経営者と事業家の視点の違いとも言えます。利三郎は堅実な経営者として、リスクを避けようとしました。一方、喜一郎は事業家として新たな挑戦を求めていました。
最終的には、喜一郎の妹であり利三郎の妻である愛子の涙ながらの説得もあり、利三郎は自動車部設立に同意します。
事業家としての覚醒
自動車開発に取り組み始めてからの喜一郎は、それまでの「一技術者」から大きく変貌します。自ら先頭に立って理想を述べ、方針を示し、時に戦い、部下たちを励まし、育てる姿は、まさに事業家としての覚醒と言えるでしょう。
彼は国産車の開発が日本の産業発展に必要不可欠であるという強い信念を持ち、それを実現するために社内外の人材を巻き込んでいきました。
「どうせやるなら誰もやらない難しい事業をやるから人生は面白い」という彼の言葉には、単なる二代目ではなく、自らの道を切り拓く事業家としての矜持が表れています。
二番手からの卒業
喜一郎は、父・佐吉の影響を強く受けながらも、自らの道を切り拓きました。織機の発明家の息子から、自動車産業の創業者へ。彼は「二番手」の立場から卒業し、新たな領域の「創業者」となったのです。
彼の物語は、組織の中で「No.2」の立場にある人が、どのように自分の領域を切り拓き、新たな価値を生み出していくかの好例となるでしょう。
そして何より、彼の姿は「二番手」という立場を超えて、未来を見据え、情熱を持って挑戦し続けることの大切さを教えてくれます。
本記事はポッドキャスト番組「二番経営」をベースに執筆しています。さらに詳しい内容は是非ポッドキャストでお聴きください。
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著者:勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ取締役)
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