経営におけるアート・クラフト・サイエンス – ミンツバーグ理論から学ぶバランス経営

はじめに
現代のビジネス環境において、経営者やマネージャーに求められる能力は多様化し、複雑化している。データ分析力、創造性、実践的な経験値——これらすべてが重要だが、どれか一つに偏ってしまうと組織は機能不全に陥りがちだ。
経営学の巨匠ヘンリー・ミンツバーグが提唱した「アート・クラフト・サイエンス」の3要素理論は、この課題に対する明確な指針を提供してくれる。本記事では、ポッドキャスト「二番経営」第62回で取り上げられたこの理論を深掘りし、現代の経営実践への応用を考察したい。
深掘りし、現代の経営実践への応用を考察したい。
ヘンリー・ミンツバーグという経営学者

ヘンリー・ミンツバーグ(Henry Mintzberg, 1939年〜)は、経営学と組織論において多大な影響力を持つカナダの学者・著述家である。彼の代表作には『戦略サファリ』(Strategy Safari, 1998年、共著)、『マネジャーの仕事』(The Nature of Managerial Work, 1973年)、『MBA が会社を滅ぼす』(Managers Not MBAs, 2004年)などがある。
ミンツバーグは理論だけでなく実践にも重きを置く学者として知られ、その研究は現場の経営者たちに大きな示唆を与え続けている。特に、彼が提唱したマネージャーの役割フレームワークは、今なお多くの組織で活用されている。
【参考】ミンツバーグのマネージャーの役割10分類
ミンツバーグは、マネージャーの役割を以下の3つのカテゴリー、10の役割に分類した:
■ 対人関係の役割
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名目上の代表者
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リーダー
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リエゾン
■ 情報伝達の役割
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モニター
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ディセミネーター
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スポークスパーソン
■ 意思決定の役割
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起業家
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妨害者処理者
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資源配分者
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交渉担当者
この分類は、マネージャーが単なる管理者ではなく、多面的な役割を担う存在であることを明確に示している。
経営の三要素:アート・クラフト・サイエンス
ミンツバーグは、経営をアート、クラフト、サイエンスの3つの要素間の動的なバランスを必要とする実践と捉えた。それぞれの要素は以下のような特徴を持つ。
アート(Art):未来を見通すビジョンやひらめき
特徴:洞察力とビジョンと直感に基づく
アートは創造力を活かした意思決定であり、ビジョンを描き、企業の方向性を示す力を指す。これは論理的分析では導き出せない、経営者の直感や洞察力に基づく判断である。
具体例: スティーブ・ジョブズがiPhoneの未来を構想したような発想力がこれに当たる。当時、既存の携帯電話市場の延長線上では考えられなかった革新的なコンセプトを生み出したのは、まさにアート的な経営だった。
クラフト(Craft):現場の”勘どころ”
特徴:実務的で現実的で関与重視の性格が強く、経験が土台
クラフトは経験と実践に基づく判断力、暗黙知、試行錯誤を通じた問題解決を意味する。これは理論では学べない、現場で培われる「肌感覚」とも言える能力だ。
具体例: 熟練の職人が培った技術や、ベテラン経営者が持つ「この案件は上手くいく」という直感的な判断力がクラフトの典型である。
サイエンス(Science):予測と制御の論理
特徴:事実と分析を重んじ、エビデンスが土台
サイエンスは知識とデータや分析に基づく合理的な意思決定、計画立案・数値管理・予測に基づく戦略的アプローチを指す。現代のビジネスにおいて最も重視されがちな要素である。
具体例: 市場データをもとにKPIを設定し、最適な経営戦略を導き出すプロセスがサイエンス的アプローチの代表例だ。
あなたのスタイル診断
まず、自分がどの要素に傾向があるかチェックしてみよう。以下の表で、それぞれの横の列ごとに言葉をひとつ選び、縦の段ごとに集計してみてほしい。
【診断】あなたのスタイルは?
それぞれの横の列ごとに言葉をひとつ選び、縦の段ごとに集計する

動的なバランスの重要性
ミンツバーグが強調するのは、これら3つの要素の「動的なバランス」の重要性である。効果的な経営には、状況に応じてこれらの要素間の相互作用とバランスを調整する必要がある。
理想的な経営アプローチは静的なものではなく、特定の状況に合わせて調整された、アート、クラフト、サイエンスの柔軟な組み合わせなのだ。
現実の課題:アートの軽視
山口周氏の著書「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」(2017年 光文社)では、現代の多くの企業で「アート」がないがしろにされ、「サイエンス」と「クラフト」によるマネジメントが主流になっている現状が指摘されている。
これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界(VUCAの時代)においてビジネスの舵取りをすることは困難だとしている。
アカウンタビリティの格差
なぜアートが軽視されるのか?その理由の一つに「アカウンタビリティの格差」がある。サイエンスとクラフトは結果を数値や経験で説明しやすいが、アートは説明責任を果たすのが困難だ。そのため、組織内での議論では「サイエンス」と「クラフト」が必ず勝つ構造になっている。
しかし、真のイノベーションや競争優位の源泉は、しばしばアート的な発想から生まれることを忘れてはならない。
組織における役割分担
「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」では、これらの3要素を組織の役割に当てはめた興味深い視点が提示されている。
PDCAサイクルへの応用
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Plan(計画):アート
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Do(実行):クラフト
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Check(評価):サイエンス
経営陣の役割分担
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CEO:Plan(アート)を担当
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COO:Do(クラフト)を担当
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CFO:Check(サイエンス)を担当
この役割分担により、トップにアート、左右の両翼に「サイエンス」と「クラフト」でパワーバランスを均衡させる組織構造が実現できる。
No.2の視点から見た3要素
「二番経営」の文脈で考えると、No.2の立場にある人材は、これら3つの要素をバランス良く理解し、状況に応じて適切な要素を強化する役割を担うことが多い。
CEOがアート的な発想でビジョンを描いた際、それを具体的な戦略(サイエンス)に落とし込み、現場での実行(クラフト)に橋渡しをするのがNo.2の重要な機能である。
また、組織内でアートが軽視されがちな状況において、No.2がその価値を理解し、適切にアート的要素を組織に浸透させることも重要な役割と言えるだろう。
現代ビジネスへの示唆
VUCAの時代における重要性
現代のビジネス環境は、Volatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭文字を取ったVUCAの時代と呼ばれる。このような環境下では、従来のサイエンス重視のアプローチだけでは限界がある。
アート的な発想力、クラフト的な現場感覚、サイエンス的な分析力をバランス良く組み合わせることで、不確実性の高い状況でも適切な意思決定を行うことが可能になる。
個人のスキル開発
経営者やマネージャーを目指す個人にとって、この3要素理論は自身のスキル開発の指針としても活用できる。
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アート:創造性やビジョン構築力を鍛える
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クラフト:現場経験を積み、実践的な判断力を養う
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サイエンス:データ分析力や論理的思考力を強化する
これらをバランス良く伸ばすことで、より効果的なリーダーシップを発揮できるようになる。
まとめ
ミンツバーグの「アート・クラフト・サイエンス」理論は、経営における根本的な真理を示している。どれか一つに偏るのではなく、状況に応じて3つの要素を動的にバランスさせることが、現代の複雑なビジネス環境を乗り切る鍵となる。
特に日本企業においては、サイエンスとクラフトに偏りがちな傾向があるため、アート的要素の重要性を再認識し、組織に取り入れる努力が必要だろう。
No.2の立場にある人材は、この3要素のバランスを理解し、組織全体の均衡を保つ重要な役割を担っている。ミンツバーグの理論を参考に、自身の組織における3要素のバランスを見直してみてはいかがだろうか。
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出典:
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ヘンリー・ミンツバーグ著「ミンツバーグの組織論」(2024年 ダイヤモンド社)
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山口周著「世界のエリートはなぜ美意識を鍛えるのか」(2017年 光文社)
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本記事はポッドキャスト番組「二番経営」をベースに執筆しています。さらに詳しい内容は是非ポッドキャストでお聴きください。
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著者:勝見 靖英(株式会社オーツー・パートナーズ取締役)
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