• トップ
  • 大規模災害
  • 南海トラフ巨大地震、被害想定が更新されるたびに数字が拡大するのはなぜなのか

南海トラフ巨大地震、被害想定が更新されるたびに数字が拡大するのはなぜなのか

見直しのたびに揺れる数字の正体

南海トラフ巨大地震の被害想定は、2025年3月31日に内閣府から公表された最新版で、最大死者数が約29万8000人という数字に落ち着きました。2012年に示された前回の想定は約32万3000人でしたので、単純に比べれば約1割の減少です。住宅の耐震化や津波避難タワーの整備といった10年余りの対策が、一定の成果を上げたと見てよいでしょう。一方で、2014年に策定された基本計画では死者数を8割減らすという目標が掲げられていました。実際の減少幅はその目標にはるかに届かず、防災対策の効果と被害想定そのものの精緻化が、綱引きのような形で数字に現れた格好です。

今回はじめて災害関連死という項目が算出された点も見逃せません。東日本大震災と2024年の能登半島地震の実績をもとに推計され、最大で5万2000人という規模が示されました。避難生活の長期化や持病の悪化、医療体制の不足といった間接的な要因で命を落とす人がこれほど多く見込まれる背景には、超広域災害ゆえに外部からの支援が届きにくいという事情があるようです。直接死と災害関連死を合わせれば、被害の全体像はむしろ重くなったと受け止めるほうが実態に近いでしょう。

 

減った項目と増えた項目が示すもの

被害想定を細かく見ていくと、減少した項目と増加した項目がはっきり分かれています。全壊・焼失棟数は前回の約250万棟から235万棟へとわずかに減り、都市ガスの停止戸数や発災後3日間の食料不足量も改善傾向にあります。耐震化やガス供給管路の強化、備蓄の推進といった地道な取り組みが、数字の上でも裏づけられた形です。

その一方で、停電軒数や通信の不通回線数、上下水道が使えなくなる人口、道路の被害箇所数は前回より増加しました。理由の一つは、最新の地形・地盤データを反映した結果、津波の浸水想定範囲が拡大したことにあります。震度7の想定地域も前回の143市町村から149市町村へと広がりました。技術が進歩してモデルの解像度が上がるほど、これまで見えていなかったリスクが数値として浮かび上がってくる構造があると考えられます。経済的な被害・影響額についても、資産被害と経済活動への影響を合わせて約292兆円と、前回の237兆円余りから増加しています。物価上昇の影響も含まれているとはいえ、被害の実額そのものが縮小したとは言いにくい状況です。

 

モデル精度と楽観バイアスのせめぎ合い

30年以内の発生確率についても興味深い変化がありました。2013年時点では60〜70%とされていた数字が、2018年には70〜80%、2025年1月には「60〜90%程度以上」という幅のある表現に改められています。地盤隆起データの不確実性やプレート境界のひずみ蓄積が一定でないことを考慮した結果、これまでより幅広いレンジで示されるようになったようです。地震調査委員会は、自治体が住民へ周知する際には高い方の数値を強調することが望ましいとしており、数字の伝え方一つで人々の危機感が大きく変わりうる現実がうかがえます。

被害想定が更新されるたびに数字が拡大しているように見えるのは、地震そのものが強くなっているからではなく、地盤モデルや観測データの精度が上がり、これまで見落とされていた被害要因が可視化されてきたからだといえます。裏を返せば、精度が上がるほど「思ったより被害は少ないはずだ」という楽観的な受け止め方は成り立ちにくくなっているのではないでしょうか。防災対策を担う側にとっても、数字が下がらないことへの焦りと、対策の効果を正しく評価する冷静さの両方が求められる局面が続いていると思われます。

 

数字をどう受け止め、どう備えるか

今回の報告書で特に強調されているのは、避難行動一つで被害規模が大きく変わるという試算です。津波からの避難意識が低いままだと死者数は約21万5000人にのぼりますが、発災後10分以内に全員が避難を開始できれば、その数は7割減の約7万3000人まで抑えられると見込まれています。数字の大きさに圧倒されがちですが、個人の行動が結果を左右する余地は決して小さくないということが、この試算からも読み取れます。

被害想定は完成された予言ではなく、その時点で得られる最良のデータと手法で描かれた仮の地図のようなものです。今後もモデルの精度が上がれば、新たな被害要因が見つかり、数字が動く可能性は十分にあります。大切なのは数字の増減に一喜一憂することではなく、自宅の耐震性や避難経路、家族との連絡手段といった具体的な備えを、今の想定に照らして点検しておくことでしょう。防災対策の進捗が数字にきちんと反映されている以上、一人ひとりの備えも確実に将来の想定を変えていく力を持っていると考えられます。

カテゴリ
大規模災害

関連記事

関連する質問