生理と向き合うアスリートたち——スポーツ医学が変えた「沈黙のタブー」

8割以上の選手が「生理でつらい」と感じていたのに、誰も言えなかった現実

2023年10月、スポーツ用品メーカー・モルテンとアンダーウェアブランドOPTが、554人の女性・クィアアスリートを対象に実態調査を実施しました。その結果、84.4%の選手が「生理でつらい」と感じていることがわかりました。10人中8人以上が何らかの苦しさを抱えながら練習や試合に臨んでいる計算になります。

東京女子体育大学の選手165人を対象にしたオムロンヘルスケアの調査(2023年)でも、6割を超える選手が「生理はこないほうがいい」と回答しています。腹痛、むくみ、体重変動、気分の落ち込みなど、月経に伴うさまざまな不調を競技生活の重荷と感じている選手がこれほど多いにもかかわらず、競技の現場ではほとんど話題にのぼってきませんでした。

では、なぜ選手たちはここまで黙り続けてきたのでしょう。元オリンピックスイマーの伊藤華英さんは「話したくはないけど、わかってほしい」という選手の本音を代弁しています。コーチが男性であること、チームメイトへの切り出し方がわからないこと、そもそも相談できる仕組みがないこと——こうした複数の壁が重なり合って、沈黙の文化が何十年もかけて育まれてきました。「弱音を吐かない選手が強い」という競技現場の空気は、裏を返せば「弱さを見せるな」というプレッシャーを女性アスリートだけに課してきた構造でもあったといえます。

一方で、国立スポーツ科学センター(JISS)がオリンピック選手を含むトップアスリート630名に行った調査では、91%が月経周期によるコンディションの変化を自覚していると答えています。生理の問題は個人の我慢で片づけられるものではなく、競技パフォーマンスに直結する医学的テーマです。スポーツ医学がその事実に本腰を入れはじめたのは、ここ数年のことでしょう。

 
ホルモンの「波」は体調だけでなく、ケガのリスクまで左右する

月経周期は大きく、前半の「卵胞期」と後半の「黄体期」に分けられます。卵胞期(月経が終わってから排卵まで)はエストロゲンというホルモンが優位になり、筋力や持久力、気分の安定感が高まりやすい時期です。これに対して排卵後の黄体期はプロゲステロンが増加し、体温上昇・むくみ・倦怠感・集中力の低下が起きやすくなります。「月経前になると妙にイライラして練習がうまくいかない」という感覚は、こうしたホルモンバランスの変化が体と心にそのまま現れた状態といえるでしょう。

コンディションへの影響だけにとどまらず、月経周期がケガの発生率にも関わっていることが、国内の研究によって実証されています。スポーツテック企業のユーフォリア社は、2022年から2023年にかけて316名の球技系女性アスリートを対象に約1年間の追跡調査を実施し、その成果を米国スポーツ医学誌『Medicine & Science in Sports & Exercise』に発表しました。正常な月経周期を持つ選手では、エストロゲンの分泌がピークを迎える排卵期に、関節の捻挫や靱帯断裂の発生率が他の時期の2倍以上に達したという結果でした。女性に前十字靭帯断裂が多い理由のひとつも、排卵前後に関節が緩みやすくなるホルモンの働きにあると考えられています。

ただし、「黄体期は必ずパフォーマンスが落ちる」「排卵期は誰でもケガをしやすい」と一概にはいえません。早稲田大学の女性アスリートプロジェクトのデータでも、月経周期とコンディションの関係は個人差が非常に大きいことが示されています。ある選手の好調フェーズが、別の選手にとっては不調フェーズと重なるケースも珍しくないでしょう。だからこそ大切なのは一般論ではなく、自分自身の周期と体の変化を記録して自分のパターンを把握することです。排卵期に関節を保護するテーピングを事前に施すといった予防策も、自分のデータがあってはじめて有効に機能します。

 
「生理が来なくなるのは本気の証拠」という誤解が、選手の体をむしばんでいた

月経に関するもうひとつの深刻な問題が、無月経です。かつての競技現場には「生理が止まるほど追い込んでいる=それだけ本気」という空気が確かに存在しました。元長距離ランナーの小林祐梨子さんは、2008年北京オリンピックの調整期間中に月経が止まり、「五輪のために絞っているから仕方ない」と自分に言い聞かせていたと振り返っています。当時の競技現場では、その感覚は決して特殊なものではなかったといえます。

ところが医学的な事実はまったく逆で、無月経は「頑張っている証拠」ではなく、身体のエネルギーが枯渇しているSOSサインです。日本産科婦人科学会と国立スポーツ科学センターが実施した大規模調査(女性アスリート・体育大学生1616名が対象)では、中長距離走や競歩などの持久系競技の選手に21.7%の無月経が確認されており、同年代の一般女性(2.4%)と比べておよそ9倍の高さでした。

無月経が続くとエストロゲンが低下して骨密度が急速に下がり、疲労骨折のリスクが跳ね上がります。同調査では持久系の選手の49.1%が疲労骨折を経験していました。アメリカスポーツ医学会が「女性アスリートの三主徴」として定義している「利用可能エネルギー不足・無月経・骨粗しょう症」の三つが、現実の選手の体の中でまさに連鎖している状態でしょう。体重を絞れば競技力が上がると信じてエネルギー不足のまま練習を積み重ね、最終的に骨が折れるという流れは、今もなお競技現場で繰り返されています。

強い生理痛(月経困難症)についても、「スポーツ選手だから耐えるべき」という思い込みが我慢を引き延ばしている面があります。実際には婦人科に相談すれば、低用量ピルや鎮痛剤で痛みをコントロールしながら競技を続けることが十分に可能です。痛みを放置して症状が悪化するほうが、長い目で見たときのキャリアへのダメージははるかに大きくなりえます。3ヶ月以上月経がない、短期間で体重が急に落ちた時期がある、疲労骨折を繰り返しているといった状況に心当たりがあれば、婦人科や女性アスリート外来への早めの相談をお勧めします。

 
「話せる環境」は自然には育まれない——仕組みとして整えていく必要性

環境は少しずつ変わりはじめています。東京大学医学部附属病院には婦人科とスポーツ医学の両方に精通した「女性アスリート外来」が設けられ、スポーツ庁も医科学サポートの充実と相談窓口の整備を進めています。海外ではイギリスのプロサッカーチームやナショナルチームが月経周期に連動したトレーニング計画を実践していて、「月経周期連動型コンディショニング」という言葉は、専門家の間で標準的な概念として扱われるようになりました。ウェアラブルデバイスやスマートフォンアプリで周期データをコーチや医師と共有しながら戦略を立てるスタイルも、日本の先進的なチームで取り入れられつつあります。

ただ、「環境が変わりつつある」と観察しているだけでは現場は動きません。変化を実質的に進めるためには、仕組みとして設計することが欠かせないでしょう。コーチが選手に気軽に聞けるようになるには、男女を問わず指導者が月経とパフォーマンスの関係を学ぶ機会を制度として保障する必要があります。チーム全体で月経管理に取り組むためには、記録ツールの導入と守秘義務のルール整備をセットで行うことが求められます。「話しやすい雰囲気」は個人の気遣いから自然に生まれるものではなく、チームの制度設計によって生み出されるものといえるでしょう。

黙って耐えることを強さと呼んできた時代を、数字と研究が否定しています。自分の体のデータを積み重ね、専門家と対話しながら競技に向き合う——そのごく当たり前のことを手にする権利が、すべての女性アスリートにあります。

カテゴリ
健康・病気・怪我

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