人間ドックを受ける前に知っておきたい「過剰診断」という医学的リスク

去年の人間ドックで「要精密検査」という判定を受けたことはないでしょうか。「甲状腺に小さな影があります」「コレステロールが基準値を超えています」と告げられ、結果が出るまでの数週間を不安のまま過ごした経験がある方も少なくないでしょう。実はそのうちのかなりの割合が、放置しても生涯なんの症状も引き起こさない「偽物の病気」である可能性があります。これは感情論ではなく、世界中の医学誌に掲載された研究が示している事実です。

 
3人に1人が「要精密検査」になる現実

健診を受けた人のうち「要精密検査」と判定される割合は、実に約34%に達します。3人に1人以上が追加の検査へ誘導される計算ですが、精密検査を経て実際にがんが確定するのは対象臓器によって異なるものの、わずか1.5〜4.2%ほどにとどまっています。大まかにいえば、「要精密検査」と言われた人の95%以上は、最終的に治療不要という結論に至るわけです。

見落としがちなのは、この過程が決して「無害」ではない点です。精密検査では造影剤を使ったCTや内視鏡が行われることも多く、それ自体にアレルギー反応や穿孔などの合併症リスクが伴います。検査の予約から結果が出るまでの数週間、「自分はがんかもしれない」という心理的ストレスにさらされることによる身体への影響も、医学的に無視できないレベルとされています。検査が不安を生み、不安が次の検査を呼ぶ――この連鎖は、一度乗り込むと降りにくいエスカレーターのような構造をしていると言えるでしょう。

 
韓国が証明した「発見数と死亡率の完全な乖離」

過剰診断の深刻さを実証した事例として、韓国における甲状腺がん検診の経緯があります。1999年に始まった国民向けがん検診プログラムの中で、数千円の追加料金で甲状腺の超音波スクリーニングが受けられる仕組みが普及しました。その結果、1993年から2011年にかけて甲状腺がんの診断率はおよそ15倍に膨れ上がりました。ところが同期間に、甲状腺がんによる死亡率はまったく変化しませんでした。

韓国国立がんセンターの全国調査(BMJ誌・2016年)では、増加した発症例の94.4%が大きさ2センチ未満の腫瘍であり、そのほぼすべてがスクリーニングで初めて発見されたものだったと示されています。命が救われた形跡はなく、一方で「がん患者」と告知された人々が手術を受け、合併症のリスクにさらされ続けました。超音波の精度が上がったことで、「もともと存在していたが、生涯症状が出なかったはずのがん」が大量に可視化されてしまった――これが過剰診断の本質的な構造です。

この問題が日本で他人事にならない理由は明確です。人間ドックのオプション検査として甲状腺エコーを提供している施設は全国に数多くあり、「せっかく来たのだから全部調べてもらおう」という心理が、韓国と同じ連鎖を個人レベルで引き起こす入り口になりえます。

 
「基準値の異常」が、異常とは限らない理由

「あなたの数値は正常範囲を外れています」と言われると、私たちはほぼ自動的に「自分は病気に近い状態だ」と解釈します。しかしその基準値そのものが、将来の病気を予測する根拠として十分かどうかは、専門家の間でも一致した見解があるわけではありません。日本人間ドック学会と健康保険組合連合会が発表した「新たな健診の基本検査の基準範囲」は、受診者約150万人のデータから血圧やコレステロールなど27項目の正常値を設定したものでしたが、日本医師会と日本医学会はこれに対して「エビデンスが高いとは言えない」と明示した見解を公表しています。

批判の核心は、基準値の算出に使われたのが特定時点のデータを切り取った横断調査であり、「その後その人がどうなったか」を長期追跡したコホート研究ではなかったという点にあります。横断調査は「今この瞬間の分布」しか示せず、将来の発症リスクとの因果関係を証明するには不十分とされています。つまり「あなたの数値は統計的に外れています」と言えても、「あなたは将来この病気になります」とは、本来言えないわけです――とは言っても、検査の現場ではその区別が受診者にわかりやすく説明されることはほとんどありません。

なぜこのような基準が独り歩きするのかを理解するには、市場の構造を見る必要があります。国内の健診・人間ドック市場は約1兆円規模(矢野経済研究所・2024年度推計)に達しており、施設間の差別化のためにオプション検査の拡充が続いています。PSA検査や腫瘍マーカー(CEA、CA19-9)など、科学的根拠が限定的なまま普及している項目は少なくありません。異常値が見つかれば次の検査が発生し、精密検査でも確定しなければさらに経過観察が続きます。患者の不安が次のサービス需要を生むという構造は、医療機関・受診者・保険者の三者が無意識のうちに「検査を増やし続ける方向」へ動き続けるしかけとして機能していると言えるでしょう。

 
受けるべき検査と、疑うべき検査を分ける

では人間ドックは受けない方がよいのかというと、そういう話ではありません。厚生労働省が推奨する胃・大腸・肺・乳房・子宮頸部の5つのがん検診は、死亡率の低下につながるエビデンスが積み重なっており、年齢や条件によっては受診する合理性が十分にあります。問題は、そこへオプションとして積み上がっていく「エビデンスの薄い検査」の層です。

医学的なスクリーニングの評価基準として知られるウィルソン基準では、「その検査で発見された病気を治療することで、患者が具体的に利益を得られるか」「治療しなければ病態が悪化するか」を問うことが原則とされています。甲状腺エコーや全身PET検査のように、発見しても死亡率の改善につながるデータが乏しい検査については、受診前に「なぜこの検査が必要なのか」「もし何か見つかったとき、どんな選択肢があるのか」を担当医に確認することが、自分の身を守るうえで大切な姿勢といえます。「検査項目が多いほど安心」という感覚は自然なものですが、約1兆円規模の検査ビジネスの中では、その感覚自体がうまく活用されている側面もあります。自分の年齢・家族歴・既往歴に照らして本当に必要な検査を選ぶ視点を持つことが、検査に振り回されず、健康を自分でコントロールするための出発点になるでしょう。

カテゴリ
健康・病気・怪我

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