変えられなかった過去を、創業100周年の力に。 社員とともに資源循環の未来を拓く「東邦メタリクス」へ 【東京都港区】
自動車のバッテリーやスマートフォン、電子機器、太陽光発電。私たちの暮らしを支える多くの製品には、鉛や銀をはじめとする金属が使われています。東邦亜鉛株式会社は、こうした金属を鉱石や使用済み製品から取り出し、再び社会で使える形にして供給してきた非鉄金属メーカーです。
1937年に亜鉛の製錬会社として創業し、そこで培った技術を生かして、鉛や銀、高純度の鉄、電子部品、金属リサイクルへと事業を広げてきました。その後は海外の鉱山事業にも進出しましたが、現在はそこから撤退し、祖業である亜鉛製錬も再編。限りある金属資源を循環させる会社へと大きくかじを切っています。2027年には社名を「東邦メタリクス」へ変更し、亜鉛にとどまらず、幅広い金属の価値を生かす会社として新たな一歩を踏み出します。
その変革を率いるのが、入社から36年を東邦亜鉛で過ごし、2026年6月に代表取締役社長執行役員へ就任した佐藤義和さんです。90年近い歴史の中で培った技術や文化を受け継ぎながら、社員とともに次の100年へ向けてどのような会社をつくろうとしているのでしょうか。
亜鉛製錬から広がった、社会を支える金属の仕事
東邦亜鉛は2027年に創業90周年を迎えますが、この業界では「新参者」だと佐藤さんは笑います。
「鉛は歴史的に見ると、メソポタミア時代から作られています。100年を超える企業が何社もある中で、我々は90周年。まだまだ新参者です」
同社は1937年、「日本亜鉛製錬株式会社」として創業しました。現在の中核は、鉛や銀などの金属を取り出して社会に供給する製錬事業です。
たとえば鉛は、自動車を動かすバッテリーなどに使われています。同社では、使用済みの鉛バッテリーから鉛を取り出し、再び使える金属へと戻すリサイクルも手掛けています。銀は電子部品やはんだなどに使われ、私たちの身近な製品を見えないところで支えています。
さらに、製錬で培った技術から、高純度の鉄である「電解鉄」や、電子機器の中で電流を安定させる「ノイズ低減コイル」などへも事業を広げてきました。
「事業の原点は亜鉛の製錬です。そこから生まれた技術を、いろいろな分野に応用してきました」
一見すると私たちの生活から遠い「製錬」という言葉ですが、それらの金属は自動車や電子機器など、暮らしに欠かせないものの中に使われています。東邦亜鉛は、そうした社会インフラを素材の面から支えてきた会社なのです。
祖業を再編し、「東邦メタリクス」へ
同社が大きな転換点を迎えたのは2024年です。海外で手掛けていた鉱山事業の不振などを受け、同年12月に事業再生計画を発表。資源事業からの撤退と、祖業である亜鉛製錬の再編を決断しました。
ただ、祖業を手放して別の会社になるわけではありません。90年近くかけて培ってきた製錬技術を、亜鉛にとどまらず、幅広い金属の循環に生かしていく。そのために必要だったのが、これから何を目指す会社なのかを示す明確なビジョンでした。
「『有限な資源を、無限の価値に。』というミッションを掲げました。亜鉛にこだわるのではなく、幅広く発展していこうという意思を込めています」
その意思を形にしたのが、2027年に控える社名変更です。新しい社名は、経営層だけで決めたものではありませんでした。
「社員から社名を募集し、候補を集めた上で、最終的には社員投票で決めました」
社員自らの手で選んだ新しい社名は「東邦メタリクス」。亜鉛製錬で培ってきた技術を土台に、より幅広い金属の価値を生かす会社へ。その名前には、次の時代へ進もうとする東邦亜鉛の意思が込められています。
36年間会社を見てきた社員が、改革の責任者に
こうした事業再生を担うことになったのが、佐藤さんでした。
佐藤さんが東邦亜鉛に入社したのは1990年。以来、営業を中心に、リサイクル製品や亜鉛、鉛などの製錬製品の販売に携わってきました。顧客と向き合いながら、会社の事業や変化を長く内側から見てきた一人です。
2024年、資源事業の悪化を受け、佐藤さんは事業構造改革を任されます。
その後、経営企画部長を兼務しながら、CRO(チーフ・リジェネレーション・オフィサー)として事業再生を担いました。外部の専門家の力も借りながら、事業と組織の立て直しを進めていきました。
会社を立て直す立場になったことで、佐藤さんは、それまで36年間働いてきた中での出来事を改めて振り返るようになりました。
「今まで良い経験も悪い経験もさせてもらいました。振り返ると、『あそこは間違っていたな』『なんであの時、俺は言わなかったんだろう』と思うこともあります」
事業再生の過程では希望退職も実施し、200名ほどの事業所で80名近くが会社を去りました。かつて営業でともに現場を回った同僚もその中にいたといいます。
「それが一番つらかったですね。そういう思いをしたからこそ、これ以上仲間を失いたくないという気持ちが根本にあります。辞めていった人たちのためにも、今いる社員のためにも、この事業再生はやりきらなければいけないと思っています」
長く会社にいたからこそ、過去の判断をひとごとにはできない。言うべき時に声を上げられなかった後悔も、仲間が会社を去る痛みも知っている。その経験を抱えながら、2026年6月、佐藤さんは代表取締役社長執行役員に就任しました。
そして今、自らが会社を変える側に立っています。
変えられなかった会社の仕組みを、根本から見直す
佐藤さんが最初に着手したのは、人事評価制度と会議体の見直しでした。
人事評価制度は20年以上見直されておらず、「評価の仕方が抽象的、あいまいで何を言っているのかわからない」状態だったそうです。
会議体も同様でした。取締役会の独立性は中途半端で、報告会と化し、投資判断も組織的な検証がないまま進んでいた場面があったといいます。
「仕組みが出来上がった当時はそれで良かったんでしょうけど、変わっていかなかった、変えなかったというのが最大の要因でした」
過去を否定するのではなく、変えてこなかったことに向き合う。その視点が、改革全体を貫いています。
社員が会社の未来を考える「アールプロジェクト」
事業構造改革でもっとも重要なのは、社員が同じ方向を向くことだと佐藤さんは言います。
「みんなバラバラで、進む方向を示しても下を向いている人もいれば、横を向いている人もいる」
そこで2025年7月に始めたのが、小規模な社員グループでの活動「アールプロジェクト」です。事業部単位で約10の分科会をつくり、5〜10人のグループで収益向上策や、直接収益にはつながらなくても社員のモチベーションを上げる施策などを話し合っています。
「ボトムアップで進めることも一つの目標でした。そのため、役員クラスはなるべく入れず、若い世代が中心になって意見を出せるようにしました。当初は部課長クラスが中心でしたが、今は課長や係長くらいまで年齢層を下げています」
効果を上げる特効薬はあるのか、と尋ねると、佐藤さんはこう答えました。
「効果的なものはありません。とにかく何回も何回も話すことです。丁寧に地道に積み重ねるしかありません」
分科会ごとの温度差をなくすため、経営企画部のメンバーも各分科会に入り、フォローアップする体制をつくりました。地道な対話の積み重ねが、改革の血肉になっています。
家族的な社風を、前へ進む力に変える
東邦亜鉛には、「困っている仲間を放っておかない」という家族的で優しい社風があります。
「例えば残業をしている人がいたら『どうした、大丈夫か』と声を掛ける。仲間意識が非常に強く、困っていたら助けてあげたいという雰囲気です」
ミッション・ビジョン・バリューを策定する際のワークショップで若手社員に話を聞いても、その気風は今も受け継がれているといいます。ただし、優しさは同時に弱さにもなっていました。
「人に対して意見が言えず、判断が遅くなったり、中途半端になってしまうという欠点は持っていました」
新たに定めた行動指針には「自ら拓く」「一歩前に」といった言葉が並びます。守りには強いが、攻めや前進が苦手だった組織文化への、佐藤さんなりの処方箋です。
思いやりの文化を残しながら、率直に踏み出す組織へ。矛盾するように見える二つを両立させようとする姿勢が、改革の随所ににじんでいます。
「有限な資源を、無限の価値に。」
改革のために新たに掲げたミッション「有限な資源を、無限の価値に。」ミッションの原点には、金属という資源の性質そのものに対する佐藤さんの深い理解があります。
「地球上に存在する鉱石から金属を回収するという営みは、我々が生きている間になくなることはないですが、資源は有限です。将来に向かう過程を考えた場合に、しっかりと先の世代に託さないといけません」
だからこそ重要になるのが、金属を回収し、繰り返し使うリサイクルです。 佐藤さんは自身の入社当時を振り返りながら、リサイクルが進んできた変化を語ります。
「私が入社した頃は、鉛バッテリーはそのまま捨てられていた時代でした。リサイクルもいらなかったし、あまり認知されていませんでした」
川べりに廃車が並び、不法投棄されたタイヤに蚊が発生して社会問題になっていた時代もありました。それが今では、鉛バッテリーの回収率はほぼ100%、タイヤはセメント燃料として、車体は鉄原料として回収されています。
理念は自社だけで完結しません。使用済み製品や工場から出る原料を安定して回収し、再び使える金属に戻すには、原料を出す企業や回収を担う事業者、製品を使う顧客との連携が欠かせません。さらに、入ってくる原料の金属の含有量は、取引先の操業状態によって日々変わるため、互いに情報を共有しながら調整していく必要があります。
「我々だけでは無理なので、お客様や協力会社と一緒にやっていかないとダメです。『一緒に歩んでいく』というところがポイントです」
ミッションを言葉だけで終わらせず、顧客や協力会社とともに資源を循環させる。その姿勢にも、東邦亜鉛が目指す未来が表れています。
社員とともに、創業100周年へ
現在、東邦亜鉛は5年間の事業再生計画の途上にあり、1期目を終えたところです。その先には、佐藤さんが見据える未来があります。
「創業90周年からの10年間、100年企業に向かって、私たちが得意とし、社会に貢献できる分野は、リサイクルや製錬技術のさらなる進化にあります。目指すビジョンは『社会インフラを支えるリーディングカンパニー』、そして『リサイクリングのリーディングカンパニー』です。外部からも信頼され、真っ先に相談をお寄せいただけるような存在を目指してまいります 」
その未来を実現するために、佐藤さんは事業の再編だけでなく、人事評価制度や会議体の見直し、アールプロジェクトを通じた対話の場づくりなど、組織そのものの改革も進めています。目指しているのは、社員一人ひとりが会社の方向性を理解し、自ら考えて動ける組織です。
「若い方が誇りを持って日々の業務ができるかどうかはとても大きいと思います。みんなでミッションを共有して、同じ方向を見ていけるようにしていきます」
1937年、亜鉛製錬から始まった会社は、90年近い歳月をかけて金属の可能性を広げてきました。そして今、培ってきた技術と人の力を生かしながら、創業100周年へ向けて新しい一歩を踏み出しています。2027年には「東邦メタリクス」へ。有限な資源を無限の価値へ変えていく挑戦は、社員とともにこれからも続いていきます。
もっとも印象に残った言葉
「(希望退職の実施)それが一番つらかったですね。そういう思いをしたからこそ、これ以上仲間を失いたくないという気持ちが根本にあります。辞めていった人たちのためにも、今いる社員のためにも、この事業再生はやりきらなければいけないと思っています」
聞き手:丸山夏名美 構成:天野崇子 書き手:川村忠寛 天野崇子
写真はすべて2026年7月14日丸山夏名美撮影
会社名:東邦亜鉛株式会社
取材対象者:代表取締役社長執行役員 佐藤義和さん
設立年月:1937年3月5日
ミッション:有限な資源を、無限の価値に。
事業内容:鉛・銀などの製錬事業、環境・リサイクル事業、電子部材・機能材料事業、金属リサイクル事業
所在地:東京都港区虎ノ門三丁目18番19号 UD神谷町ビル
URL:https://www.toho-zinc.co.jp/
※2027年4月1日付で「東邦メタリクス株式会社」へ商号変更予定です。
情報提供元:ローカリティ!
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