古典文学の不倫はなぜ面白い?『源氏物語』から読み解く人間の二面性

禁じられた恋には人間の本音が表れる

古典文学には、現代でいう不倫や不義密通に近い関係がたびたび登場します。代表的なのが、11世紀初頭、1008年ごろに成立したとされる紫式部の『源氏物語』です。全54帖からなる長編には、光源氏と藤壺、柏木と女三宮など、許されない男女関係が物語を大きく動かす場面があります。とはいえ、古典文学が長く読まれてきた理由を「昔の人も禁断の恋が好きだったから」と考えるだけでは、その魅力を十分に説明できません。読者を引きつけているのは不倫という出来事そのものではなく、「してはいけない」と分かっていても気持ちを止められない人間の姿だと考えられます。

現在と平安時代では、男女関係を取り巻くルールも大きく異なります。当時の貴族社会では、男性が女性の住まいを訪ねる形で関係を築くことがあり、複数の女性とかかわる男性もいました。そのため、現代の一夫一婦制をそのまま当てはめて「これは不倫だ」と判断することはできません。一方、何をしても許されたわけではなく、身分や家柄、宮廷の秩序を乱す関係には大きな危険がありました。古典文学の不義密通は、恋愛と社会のルールが激しくぶつかる場所だったといえるでしょう。ルールが強いほど、それを越えようとする人物の欲望も鮮明に見えてきます。

 

光源氏は裏切る側から裏切られる側へ

『源氏物語』の中でも象徴的なのが、光源氏と藤壺の関係です。藤壺は光源氏の父である桐壺帝の后であり、二人の関係は単なる恋愛では済みません。その間に生まれた冷泉帝は、表向きには桐壺帝の皇子とされます。個人的な恋の秘密が皇位や血統にもつながるため、発覚すれば二人だけの問題ではなくなります。研究でも、后との密通が露見した場合に男女が処罰された歴史上の事例があったことが指摘されています。光源氏と藤壺の恋には、好きか嫌いかだけでは決められない社会的な重さがあったと思われます。

さらに印象的なのは、後年の光源氏が反対の立場に置かれることです。柏木が光源氏の妻である女三宮と関係を持ち、その事実を知った光源氏は、かつて自分が藤壺と結んだ関係を思い返します。東京大学の研究でも、柏木と女三宮の密通を知った際、光源氏が父・桐壺帝に対する自らの過去を振り返る構造が論じられています。若い頃には自分の欲望を抑えきれなかった人物が、自分が傷つけられる側になると苦しむ。ここには、人間が立場によって道徳の見え方を変えてしまう姿が描かれているといえます。

 

人は自分の恋には理由をつけたがる

人間は、自分が誰かを好きになったときには「気持ちは止められない」「この関係だけは特別だ」と考えやすい一方、自分が裏切られると「そんなことは許されない」と感じることがあります。欲望する側では例外を求め、傷つく側ではルールを求める。この身勝手さは、『源氏物語』の登場人物だけに限った話ではありません。だから読者は光源氏を完全な悪人とも被害者とも決めきれず、ときには呆れながら、その感情を理解してしまいます。そこに単純な勧善懲悪では味わえない面白さが生まれるのではないでしょうか。

柏木と女三宮の密通についても、柏木は単なる悪役として描かれてはいません。研究では、柏木の中に女三宮への思いだけでなく、光源氏への恐れ、秘密が知られる不安、家族への罪の意識など、複数の感情が重なっていることが指摘されています。人が道徳に反する行動をするとき、いつも冷静に「悪いことをしよう」と決めているわけではありません。欲望を正当化したり、自分だけは例外だと思ったりしながら境界線を越えてしまう場合があります。その後になって罪悪感や恐怖が押し寄せる。古典文学は、そうした人間の揺れまで描いているからこそ、生々しさが残ると考えられます。

 

千年たっても禁断の恋が消えない理由

『源氏物語』が成立してから、およそ1000年が経過しました。その間、日本の結婚制度や道徳観は大きく変わっています。現在は法律上の一夫一婦制が採用され、不貞行為は離婚や慰謝料請求にかかわる問題になることがあります。一方で、かつて存在した姦通罪は戦後の1947年に廃止されました。社会がどこまで男女関係に介入するかという線引きも、歴史の中で変化してきたといえます。それでも映画、小説、ドラマでは、不倫や禁断の恋が現在まで繰り返し描かれています。

理由は、道徳が変わっても、人間の感情まで同じ速さでは変わらないからだと思われます。好きになってはいけない人に惹かれる、自分の行動には理由をつけるのに相手の裏切りは許せない、失ってから初めて執着に気づく。こうした矛盾には、現代人にも思い当たる部分があります。古典文学の不義密通が面白いのは、昔のスキャンダルをのぞき見ることだけではありません。登場人物の勝手さや弱さを追いかけているうちに、「自分ならどうするだろう」と考えさせられるところにあります。時代の違う物語の中に自分と似た感情を見つけてしまう。その瞬間、千年前の古典が急に身近な物語へ変わるのではないでしょうか。

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