事業承継税制はなぜ使われにくい?株式贈与を阻む手続きと経営の壁
100%の納税猶予でも利用が広がりにくい理由
会社を子どもや親族に引き継ぐとき、意外に大きな問題になるのが自社株です。長年かけて会社を成長させ、利益や純資産が積み上がるほど株式の評価額も高くなりやすく、後継者へ贈与する際には多額の贈与税が発生する可能性があります。そこで設けられているのが法人版事業承継税制です。特例措置では、一定の要件を満たせば対象となる非上場株式の贈与税・相続税について100%の納税猶予を受けられます。従来あった対象株式数の上限も撤廃されており、税負担だけを見れば非常に大きな制度といえるでしょう。
それでも利用が一気に広がっているわけではありません。中小企業庁によると、特例承継計画の申請件数は2018年度の2,936件から2019年度には3,451件となり、その後は2,600~2,800件台で推移しました。提出期限を前にした2023年度には5,531件まで増えたものの、2024年度は1,671件へ減少しています。2023年度の駆け込み需要の反動もあるため、単純に「制度が不人気」と断定することはできません。一方、国も年間約3,000件程度の利用を見込んでおり、税負担が大きく軽減される制度であっても、経営者が簡単には決断できない事情があると考えられます。
株を渡すだけでは終わらない複雑な手続き
自社株の贈与は、預金からお金を振り込むような単純な資産移転ではありません。まず会社の株価を評価し、誰が何株を持っているのかを確認したうえで、後継者へどの程度の株式を移すのかを決める必要があります。事業承継税制の特例措置を利用する場合には、特例承継計画を作成し、認定経営革新等支援機関の確認を受け、都道府県への認定申請や税務署への申告などを進めます。株式を渡した後にも一定の手続きが続くため、「親から子へ株を贈与する」という言葉から想像するより、実務はかなり複雑でしょう。2026年4月時点でも、中小企業庁は認定に関する複数の申請書類やマニュアルを公開しています。
経営者を迷わせるのは、書類の多さだけではありません。事業承継税制は「税金がゼロになる制度」ではなく、条件を満たしている間、税金の支払いが猶予される仕組みです。一定の場合には免除される一方、要件から外れれば猶予税額の納付が必要になるケースもあります。つまり経営者は、現在の節税効果だけでなく、数年後の会社の姿まで想像して判断しなければなりません。現在は後継者が決まっていても、将来M&Aを選ぶ可能性や経営方針が変わる可能性はあります。税金を抑えるメリットと経営の自由度を比べる必要があるため、制度が有利だからすぐ利用する、とはなりにくいと思われます。
自社株は「財産」であると同時に「会社を動かす権利」
事業承継を難しくしている背景には、自社株ならではの性格があります。仮に現金1億円を子どもへ渡せば、基本的には資産の移転として考えられます。しかし評価額1億円の自社株を渡す場合は意味が変わります。株式には財産価値だけでなく、議決権を通じて会社の意思決定に関わる権利があるからです。何%の株式を誰に渡すかによって経営権まで変わる可能性があります。そのため「贈与税を減らせるなら渡そう」というマネーだけの判断では済みません。税理士だけでなく、必要に応じて金融機関や弁護士などを交え、株主構成や経営権まで整理するケースが出てくるでしょう。
ここに事業承継税制の難しさがあります。制度は事業を継続する後継者を支えるために設計されていますが、企業経営では10年先を正確には読めません。市場環境が変化し、後継者本人の事情が変わったり、第三者への売却が合理的になったりする可能性もあります。特例措置では、将来の売却や廃業時に株価が下落していた場合、一定の条件で納税額を再計算して負担を軽減する仕組みも設けられています。それでも経営者から見れば、税制上の条件を長期間意識しながら会社を動かすことへの心理的な負担は残るといえます。
節税額より先に「将来どうしたいか」を整理する
事業承継税制を利用するかどうかは、自社株の評価額だけで判断するより、会社の将来像から逆算したほうが現実的でしょう。後継者が明確で、長期にわたって会社を経営する意思があり、自社株評価額が高いため贈与税や相続税が承継の障害になる企業では、制度を検討する価値は高まります。一方、数年以内にM&Aを検討している企業や、後継者がまだ決まっていない企業では、急いで株式を移すことが最善とは限りません。実際、中小企業庁は2024年時点でも70代以上で事業承継を必要とする経営者が多く、今後は60代の経営者も本格的な承継期に入るとしています。
制度側もこうした事情を受けて見直しが続いています。2026年度税制改正では、法人版事業承継税制の特例承継計画の提出期限が1年6カ月延長され、2027年9月30日までとなりました。ただし、特例措置による贈与・相続そのものの適用期限は2027年12月31日までです。 会社の価値が上がってから慌てて対策を始めるより、60代になる前後から自社株評価額、株主構成、後継者候補を確認しておけば、選べる方法は増えるでしょう。事業承継税制は強力な節税策ですが、目的は税金を減らすことだけではありません。会社を誰に、いつ、どのような形で渡したいのか。その道筋を決めたうえで制度を選ぶことが、結果として会社と家族の双方にとって無理のない承継につながるのではないでしょうか。
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