「顧客起点」経営思想の再興、オムニチャネルから顧客エコシステムへ
「顧客起点」が再び経営のテーマになった理由
「顧客を第一に考える」。企業経営では昔から使われてきた言葉です。それが今、あらためて「顧客起点」として注目されています。背景にあるのは、企業と顧客が出会う場所が増えすぎたことです。かつては店舗や電話が中心でしたが、今はEC、アプリ、SNS、チャット、オンライン広告など、接点はいくつにも分かれています。商品をSNSで知り、店舗で確認して、帰宅後にECで購入する人も珍しくありません。企業が「店舗の顧客」「ECの顧客」と分けて管理していても、本人からすれば同じ会社とのやり取りです。Salesforceの調査では、顧客の79%が部門をまたいだ一貫性のある対応を期待する一方、55%は同じ企業ではなく、別々の部門とやり取りしているように感じると回答しています。
この問題を解消するために、多くの企業が進めてきたのがオムニチャネルです。店舗とECの在庫を連携したり、ネットで注文した商品を店舗で受け取れるようにしたりと、買い物の途中で生まれる不便を減らしてきました。ただ、店舗とECがつながったからといって、顧客のことまで深く理解できるとは限りません。ECには購入履歴、店舗には接客記録、サポート窓口には問い合わせ内容が残っていても、それぞれが別々に管理されていれば、見えているのは顧客の一部分だけです。「どこで売るか」を整えるだけでなく、「この人は何を求めているのか」まで見る必要が出てきました。顧客起点が再び語られている理由は、ここにあると考えられます。
オムニチャネルの先で変わるのは「接点」より「関係」
オムニチャネルと顧客エコシステムは、どちらか一方を選ぶものではありません。オムニチャネルが店舗、EC、アプリといった接点をなめらかにつなぐものだとすれば、顧客エコシステムは購入前から購入後まで続く関係を広く捉えるものです。商品を知り、比較し、購入し、使い始め、困ったときには相談し、必要になれば買い替える。企業にとっては別々の業務でも、顧客にとっては一続きの体験です。ここまで視野を広げると、販売チャネルを整えるだけでは足りない理由が見えてきます。
顧客側の期待も変わっています。McKinseyが2021年に米国の成人1,013人を対象に行った調査では、71%が企業にパーソナライズされた対応を期待し、76%は実現されない場合に不満を感じると答えています。78%は、自分に合ったコミュニケーションを受けることで再購入する可能性が高まると回答しました。一度購入した店で、毎回初めての客のように扱われる。問い合わせのたびに同じ説明を求められる。こうした小さな手間が積み重なれば、いくら購入画面が便利でも良い体験とは感じにくいでしょう。企業が持つ情報を顧客単位でつなぎ、必要な場面で自然に生かせるかどうかが、次の競争軸になりつつあります。
顧客起点はマーケティング部門だけの仕事ではない
顧客起点という言葉から、広告やCRM、接客改善を思い浮かべる人も多いでしょう。しかし、経営まで視野を広げると話は変わります。広告担当者はクリック率やコンバージョン率、EC担当者は売上、店舗は来店数と、それぞれの部署が自分たちの数字を追う企業は少なくありません。個々の数字が良くなっても、顧客との関係まで良くなっているとは限りません。広告費を増やして新規購入者が伸びても、その多くが一度しか購入しなければ、次の新規顧客を探すために広告費を使い続けることになります。そこでLTV(顧客生涯価値)や再購入率、継続率まで含め、「一人の顧客とどれだけ長く良い関係を築けたか」を見る必要が出てきます。
この視点を持つと、変わるのはマーケティングだけではありません。サポート窓口に同じ問い合わせが何度も届くなら、回答を効率化する前に商品説明やWebサイトを見直したほうがよいかもしれません。返品が多ければ、物流部門だけの問題とせず、商品設計や販売ページまで戻って原因を探る必要があります。顧客の声を商品開発へ返し、購入後の行動を次のサービスへ生かす。こうした動きができれば、顧客データは単なる販売促進の材料ではなく、経営判断に使う情報になります。顧客起点とは「お客様を大切にする」という精神論ではなく、商品、予算、KPI、組織の動かし方まで顧客側から見直すことだといえるでしょう。
AIが広げるのは「売り方」ではなく顧客理解
こうした経営を現実にしやすくしているのが、データとAIです。購入履歴、Webサイトでの行動、店舗での接客、問い合わせ内容などを組み合わせれば、以前より細かく顧客の状況を把握できます。McKinseyは2025年の分析で、AIを活用したパーソナライゼーションについて、顧客満足度を15~20%高め、売上を5~8%伸ばし、サービス提供コストを最大30%削減できる可能性を示しています。ただ、ここでAIを主役にしてしまうと話が逆転します。AIでおすすめ商品を大量に表示したり、メールの配信回数を増やしたりするだけでは、企業側の「売りたい」を効率化したにすぎません。
顧客が欲しい商品を探しているなら見つけやすくする。使い方に困っているなら購入を勧める前に解決方法を案内する。買い替えの時期が来たら、その人の利用状況に合った選択肢を示す。データやAIは、こうした判断を支える道具として使ったほうが顧客起点という考え方になじみます。
店舗、EC、アプリをつないできたオムニチャネルから、商品開発、サポート、物流、外部サービスまで顧客を中心につないでいく顧客エコシステムへ、変わるのはチャネルの数ではなく会社が物事を決めるときの出発点です。
「何を売りたいか」から考える企業と、「顧客は何をしたいのか」から考える企業。その違いが、これからのマーケティングや経営に表れてくるのではないでしょうか。
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