垂直特化型SaaSの台頭、業種特化で勝つ戦略とは何か
業界を狭くすることが、むしろ競争力につながる
SaaS市場で存在感を高めているのが、建設、医療、物流、小売など、特定の業界に対象を絞った垂直特化型SaaSです。一見すると、対象業界を限定するより、多くの企業へ販売できるサービスのほうが成長しやすく思えます。しかし、実際の現場には業界ごとに異なる仕事の流れがあります。建設業なら施工写真や工程、原価、協力会社との連絡、医療なら予約や問診、患者情報、請求などがあり、汎用的なサービスだけではカバーしにくい領域が残ります。ここへ深く入り込めることが、垂直特化型SaaSの強みといえるでしょう。
業界を絞るメリットは、専門的な機能を作れることだけではありません。同じ業界の企業は、仕事の進め方や抱えている課題にも共通点があります。一社から聞いた要望を製品へ反映し、それを別の企業にも提供できれば、開発した機能を繰り返し販売できます。営業で説明する内容や導入支援、問い合わせ対応も標準化しやすくなり、顧客が増えるほど業界に関する知識も蓄積されます。顧客から学び、製品を改善し、その改善された製品が次の顧客獲得につながる。この循環を作れることが、「業界に詳しい」という言葉だけでは説明できない競争力の正体だと考えられます。
単機能で終わらず、業務全体へ入り込めるか
垂直特化型SaaSで成長を目指す場合、最初から業界のあらゆる仕事をカバーする必要はありません。むしろ、現場が強く困っている一つの業務から入るほうが導入理由を作りやすいでしょう。建設業なら施工管理から始め、工程、原価、請求へ広げる。小売業なら在庫管理を入口に、受発注、店舗管理、売上分析へ展開する。美容業界なら予約から顧客管理、会計、決済へ進むといった形です。一つの課題を解決して信頼を得た後、隣接する業務を取り込むことで、一社当たりの利用額を伸ばせる可能性があります。
この戦略には数字による裏付けもあります。200社以上のVertical SaaS企業を対象にした2025年のTidemarkのベンチマークでは、複数製品を展開する企業は獲得可能市場の中央値が2倍以上に広がり、2製品以上を提供する企業は単一製品の企業より成長率が21%高いとされています。決済をはじめとしたフィンテックも有力な拡張先で、同調査では45%の企業が第2の製品としてフィンテックを選択しています。月額利用料だけで稼ぐのではなく、顧客の業務量や取引額が増えるほど自社の収益機会も増える仕組みを作れるかどうかが、成長を左右すると考えられます。
データとAIが「業界特化」の価値を変えていく
業務を広くカバーすると、もう一つの資産が生まれます。それがデータです。予約だけを扱うサービスより、予約から顧客管理、決済まで扱うサービスのほうが、顧客の業務を連続したデータとして捉えやすくなります。建設なら工事の進捗と原価、小売なら在庫と販売、店舗運営といった情報を結び付けられるでしょう。顧客数が増え、長く利用されるほど業界固有のデータが蓄積されれば、単なる便利なツールから、経営判断を支えるサービスへ発展する余地が生まれます。
AIの普及によって、このデータの意味はさらに大きくなると見込まれます。見積書や報告書の作成、問い合わせ対応、入力内容の確認、需要予測など、これまで人がSaaSを操作して行っていた仕事の一部をAIが担える可能性があるからです。Tidemarkの2025年調査では、Vertical SaaS企業の約84%が同年末までにAI機能を提供する可能性があるとされ、AI製品を提供する企業では成長率に8ポイントの差がみられるとの結果も示されています。AIを付ければ勝てるわけではありませんが、業界特有の業務とデータを理解している企業ほど、「何をAIに任せれば現場の負担が減るか」を設計しやすいといえるでしょう。
勝てる市場には「共通する面倒」がある
垂直特化型SaaSは、デジタル化が遅れている業界を選べば成功するという単純なビジネスではありません。会社ごとに仕事の進め方が違いすぎれば個別開発が増え、SaaSとして同じ製品を提供するメリットが薄れます。事業者が多くても顧客単価が低く、営業に大きな費用がかかれば採算は悪化します。導入しても短期間で解約される市場なら、顧客を増やし続けなければ売上を維持できません。見るべきなのは業界の大きさだけではなく、複数企業に共通する課題があり、その解決に継続的なお金を払ってもらえるかという点でしょう。
NEDOの推計では、国内のバーティカルSaaS市場は2025年の9,032億円から2040年には1兆7,200億円へ拡大し、平均年成長率は約4%とされています。2025年時点では製造業が77%を占めていますが、2040年には46%となり、金融・保険業は1%から33%へ拡大する予測です。市場全体の成長だけでなく、利用される業界そのものが広がっていく可能性が読み取れます。垂直特化型SaaSで勝つとは、小さな市場で専門サービスを売り続けることではありません。共通する「面倒」を入口に顧客を集め、周辺業務、決済、データ、AIへと領域を広げ、最終的には業界の日常業務から外せない存在になることが、本当の勝ち筋ではないでしょうか。
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