制度より先に「魂」を入れよ。前野隆司教授が語る、ウェルビーイング経営の本質とAI時代の幸せ(後編)

前編では、ウェルビーイングの本質と「幸せの4因子」について前野隆司教授に語っていただきました。後編のテーマは「組織とウェルビーイング」です。
近年、ウェルビーイング経営を掲げる企業は急増しています。しかしその取り組みの中身は千差万別。制度を整え、研修を導入し、KPIを設定する。一見もっともなアプローチに見えますが、前野教授はそこに大きな落とし穴があると指摘します。
組織のウェルビーイングを高めるために本当に必要なものは何か。経営者の役割、管理職の葛藤、幸福度の可視化の意義、そしてAI時代における人間らしさの価値について、率直に語っていただきました。
前野隆司(まえのたかし)
武蔵野大学ウェルビーイング学部長。武蔵野大学大学院ウェルビーイング研究科長。武蔵野大学しあわせ研究所長。ウェルビーイング学会代表理事。日本ウェルビーイング財団理事。慶應義塾大学名誉教授。博士(工学)。
東京工業大学(現東京科学大学)修士課程修了後、キヤノン株式会社、カリフォルニア大学バークレー校訪問研究員、ハーバード大学訪問教授等を経て現職。
専門は幸福学、イノベーション教育、システムデザイン・マネジメント学。
著書に『幸せのメカニズム』(講談社)、『ウェルビーイング』(日経文庫)、『幸せな職場の経営学』(小学館)など多数。
1. 形だけのウェルビーイング経営が失敗する理由
——「ウェルビーイング経営」を掲げる企業が増えていますが、制度や福利厚生を整えただけで終わっているケースも多いように感じます。
本質的な取り組みとの違いはどこにありますか。
ウェルビーイング、幸せというのは心の状態ですよね。ですから、心がこもっていないと実現できないんです。
ウェルビーイング経営が難しいのは、2つの側面があるからと考えられます。制度を整え、KPIを設定し、理念を浸透させるというようなロジカルな動きと、本当に心から感謝する、本当に心からやる気になるといった、あり方として組織を牽引する部分。この両方が必要なんですね。
ところが間違っている企業は、まず制度から入ります。「幸せのアンケートでポイントを10ポイント上げろ」と数値目標にする。
でも10ポイント上げるために「もっと感謝する人になろう」とはならないですよね。ロジックに頼りすぎるとうまくいきません。
理念の浸透というのはいいことなんですけれど、みんなやる気がない、挨拶もない職場で「理念は利他です」と掲げても、社員からすれば「社長は綺麗事を言っているな」としか思われない。
本当に利他的で、本当に挨拶して感謝する風土と、理念とが一致している必要があるんです。
——心がこもっていないと実現できない、というのはシンプルですが本質に感じます。では、ウェルビーイング経営を実践する上で、正しい順番はあるのでしょうか。
とても幸せな会社の社長がおっしゃっていたのは、「制度、理念、研修は後でいい」ということでした。
「まずは挨拶、掃除から始める。対話を重ねて、みんなが挨拶できる会社になってきたね、いい会社だねという文化をつくる。挨拶して感謝する社風ができてから、それを徹底するために理念をつくり、アンケートで確認すればいい」と。本当にそのとおりだと思っています。
いまはまさに過渡期で、正しいウェルビーイング経営と間違えていそうなウェルビーイング経営がたくさん出てきていて、うまくいかない事例も見受けられます。
ウェルビーイング研修が形骸化して一部の人しかやらない、1on1をやっているのにエンゲージメントが下がっている、という話も珍しくありません。
このままだと「ウェルビーイング経営ってダメだね」「ブームが去ったね」となりかねない。
私が本当に伝えたいのは、形だけやろうとするのではなく、文化としてやる、志や想いとしてやるということなんです。
——「制度や研修は後」というのは、意外に感じる企業もあるかもしれません。文化として、想いとして取り組むという言葉に共感しつつも、具体的な実行に移せないことも考えられます。最初の一歩として取り組みやすいことはありますか。
企業の状況にもよりますが、経営者がその気になっていたら早いですよね。まず経営者に想いがある状態にならないといけません。理念の浸透やパーパス経営というのも、実は「魂」を入れることなんです。
パーパス経営も1on1研修も、やっていること自体は間違っていません。ただ、やり方が間違っているとうまくいかない。きちんと想いが伝わるように設計する。
そうなるかならないかは紙一重なんですよね。
たとえば「ありがとう」を伝え合う仕組みを導入するにしても、感謝をポイントにためて換金できるような設計は、お金と結びつけた瞬間に本質からズレていく。
感謝をそのまま魂として扱って、それを増やそうとする仕組みでないとうまくいかない。
その点、オーケーウェブさんのデジタルサンクスカード「GRATICA」は、お金と結びつけずに感謝そのものを大切にしている。正しいウェルビーイングにつながるサービスだと思いますね。
今の社会では、良いものと似て非なるものが混在している。だからこそ、見極めが必要です。

2. 経営者の「本気」が試される
——やり方ひとつで効果が変わるというのは、現場で悩んでいる方にとって切実なテーマだと思います。トップに想いがあっても、中間管理職を経て現場に届くまでが難しいと感じます。
管理職自身の幸福度が低い場合、どこから手をつければよいのでしょうか。
経営者に想いがあって、中間管理職は頭で理解だけしてそれに従っているというのでは伝わりませんよね。その場合、やはり経営者が想いをきちんと伝えるべく行動しなければならない。
「社員の幸せ」を掲げているのに、実際には現場に責任転嫁し追い詰めてしまう。そういう会社は意外と多いように感じます。
本当に想いがある人はそうならないはずです。経営者が本気であることが大事です。幸せな会社というのは、トップから始まって全体に広がって、組織全体が幸せを目指すようになっていくのです。
——私も経営者の一人として、身につまされる話です。
一方で、経営者が動かないケースは現実にはそこそこ多いと思います。現場レベルから変えていくことはできないのでしょうか。
いろいろな会社を見ていて思うのは、社長はあまり動かないんだけれど、人事部門に「燃える人」がいて、そこから広がるというパターンもあるんです。自発的にウェルビーイング推進室のようなバーチャル組織をつくって、そこから盛り上がることもあります。
人間というのはすごいもので、上の方が影響を与えやすいのは確かですけれど、どこにいようと「私のグループ10人を幸せにします」ということはできるんですよ。
どんなに幸せそうでない会社でも、たとえば1万人の会社のなかに100人の幸せな集団って結構あるんです。今からでも、どこからでも、やれることはたくさんあると思います。
3. 組織の幸福度を「測る」意義と注意点
——健康診断のように組織の幸福度を定期的に測ることには、どんな意義がありますか。また、気をつけるべき点があれば教えてください。
可視化には意味があると思っています。ただし、間違った使い方をすると逆効果になりますね。
KPIにしてポイントアップを目指すとか、結果をランキングして「この部署はいいけど、お前たちは全然幸せじゃないじゃないか」と競わせるのは違うと思います。健康診断の結果でランキングを付けたりはしないですよね。それと同じです。
自分で振り返って「ここはよかった、ここは気をつけよう」と、自分の中でより良くなろうとするのに使うのはいいんです。でも他人と比べたり、部署間を比較したり、目標にしたりというのを組織でやるものではありません。前編でお話しした「ありのままに因子」にもつながりますが、他人と比較する人は幸せじゃない。
だから、可視化して比較するというKPI型のやり方自体が、幸せに逆行する面もある方策なんです。
——「他人と比較するためではなく、自分と向き合うために使う」というのは大事な視点だと感じます。健康診断でも「体重を減らそう」「尿酸値を下げよう」と人それぞれですよね。幸せの場合も同じでしょうか。
まさにそうです。体質が違うように、幸せのかたちも人それぞれです。一人で黙々と働くのが好きな人もいれば、人と話すのが好きな人もいる。一人が好きな私に無理やり人と話ばかりさせると私は疲れますし、人が好きな妻に「人と会わずに黙々とやれ」と言と妻は疲れます。
ウェルビーイングは各人にカスタマイズする必要があるんです。
つまり、自分の特徴に応じて、いいところを伸ばすというやり方にしたほうがいい。
「各自、結果を見て自分と向き合ってください」という使い方なら、健康診断と同じように非常に有効だと思います。

参考: GRATICAサーベイより(前野隆司教授 監修)
GRATICA「組織サーベイ」
4. AI時代に残るのは「人間らしさ」
——幸せのかたちは人それぞれ、というお話は前編の「ありのままに」因子にもつながりそうです。
ここからは少し視野を広げてお聞きしたいのですが、デジタルツールやAIが急速に広がるなかで、職場の人間関係が希薄になるという声もあります。今後、働く人のウェルビーイングはどう変わっていくとお考えですか。
結論から言うと、放っておくと二極化するだろうと思いますね。
AIによる人々への影響は、世の中で発展してきたこれまでの他のテクノロジーによる影響と一緒です。たとえば都市化が進んだことで核家族が増えて一人暮らしが増えてつながりが希薄化した面もあれば、便利になっていろいろな人と出会えるようになった面もあります。AIもまったく同じ構造です。
AIにばかり相談して人と話さない人もいますよね。AIは個人の気持ちや考えの増幅器のようなもので、「苦しい」と言えば「苦しいんですね」と返してくれますが、そのことばかり増幅してしまう。個人の人間性を奪ってしまう面もあると思います。
一方で、AIをうまく使って、やらなくていい仕事はAIに任せて、人間はより人間的な仕事をすることもできる。自分の能力をAIで拡張できている人は、むしろ幸せになっていますよね。
多くのテクノロジーは放っておくと格差を拡大します。だからこそ、もっとみんながウェルビーイングのことを考えるべきだと思うんです。
AIを使って不幸せになるとはどういうことか、どうすればそうならないようにできるか。これはまさに予防医学の発想ですね。
——二極化する、というのはリアルな見立てですね。AIが気持ちの増幅器になるという指摘も考えさせられます。感謝や称賛、承認といった人間的なやりとりは、AIに置き換わっていくのでしょうか。それとも逆に価値が高まりますか。
いちばん変わらないのが「人間らしい」部分ですよね。AIは「やってみよう」とか「いい答えを出してやろう」とは思わない。
AIは「ありがとうございます」と言いますけれど、あれは人間とのコミュニケーションを円滑にするために、AIの設計者によって言わされているだけであって、そこに魂はないですよ。
本当のやりがい、本当の感謝、本当のチャレンジ、本当の個性。これは「やってみよう」「ありがとう」「なんとかなる」「ありのままに」そのものですよね。
つまり、AI時代には、実は人間がやることは幸せに生きることに集約されていくと思っています。
幸せの4因子は、いわば人が人らしく生きるためのOSのようなもの。法律でも会計でもどんな専門分野でも、その土台にウェルビーイングがある人が残っていくでしょう。
そう考えると、AIがさらに進展する未来にはウェルビーイングの価値がさらに高まっていくだろうと思います。
——幸せの4因子が「人が人らしく生きるためのOS」だという整理は、AI時代の働き方を考えるうえで非常に示唆的です。ウェルビーイング学部を創設されたのも、その文脈ですか。
2024年に武蔵野大学にウェルビーイング学科を創設し、新入生に「絶対この学部は生き残る」と言いました。「必要性が高まるに違いない学科に来たのだから、4年後の卒業を楽しみにしていてほしい」と。
幸せに生きている人はAI時代でも幸せになれますし、幸せの4因子を満たしていない人は、AIに仕事を奪われてしまうかもしれない。やる気がない、つながりがない、チャレンジもしない、個性もないという状態だと、厳しいですよね。
そういう人をなくすためにも、ウェルビーイング教育の普及が必要なんです。初等教育から高等教育、そして社会人の学び直しに至るまで。
すべての人が、健康のリテラシーと同じように、幸せのリテラシーを身につけるべき時代なんです。
まだウェルビーイング教育の重要性に気づいていない人がたくさんいると思いますが、5年後には「先見の明があったね」と言われることになると思いますよ。

5. 組織のウェルビーイングを高めようとしている方へ
——最後に、組織のなかでウェルビーイングを高めようと取り組んでいる経営者やマネージャーの方に、メッセージをお願いします。
健康と幸せはどちらもウェルビーイングなんですよね。「健康に気をつける」がこれだけ当たり前になっているのに、「幸せに気をつける」がまだ理解されていないというのは、すごく歯がゆいと感じています。
社員が幸せな組織は生産性も創造性も利益率も高いですし、社員は健康・長寿になるんですから、幸せな組織を作ったほうがいいに決まっています。ウェルビーイング経営は、もはや、すべての会社が当然やるべきことなんです。
ですから、組織の経営者の方、人事の方、そして一般社員の方で、この大切さに気づいた方には、ともにウェルビーイングな会社や組織を作っていきましょうと、強くお伝えしたいです。
やれば必ず成果が出ます。仮に今、「うちの組織はダメだ」と思っていても、コツコツと挨拶して、感謝して、やりがいを出して、理念を浸透させていけば、必ず良くなるんです。
心からウェルビーイングの効果を信じて取り組んでいただきたいですね。
6. まとめ
「制度より先に魂を」。前野教授が語ったこの言葉が、後編を通じていちばん強く残っています。
ウェルビーイング経営の失敗パターンは、驚くほどシンプルでした。制度やKPIから入る、理念が現場と一致していない、経営者の言動がズレている。逆に成功している会社は、まず挨拶や掃除から始めて文化をつくり、その土台の上に制度を乗せている。
順番が違うだけで結果が大きく変わるという指摘は、多くの組織にとって耳が痛いことかもしれません。
前編・後編を通じて前野教授が一貫して語っていたのは、「コツコツ続ければ必ず良くなる」という確信でした。
組織のウェルビーイングは、壮大な改革ではなく、明日の朝の「おはようございます」や、誰かに伝える「ありがとう」から始まるのかもしれません。

(聞き手:株式会社オーケーウェブ 代表取締役社長 杉浦 元)
■前野隆司教授インタビュー
「健康に気をつけるように、幸せにも気をつける」
幸福学の第一人者・前野隆司教授が語る、ウェルビーイングの本質(前編)
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