【連載:ちえシェアの現場から】「あなたなら絶対できる」──盲目の美容師・三好直人さんが伝えた信じる力と挑戦

「もし自分ならどう生きただろう」
「乗り越えられただろうか」
Dress aging合同会社が主催するイベント「ちえシェア」は、人生を重ねてきた人の経験をシェアすることで、生きるヒントとして持ち帰る場です。
今回登壇したのは、盲目の美容師・三好直人さん。
進行性の病気によって視力を失いながらも、全国から指名を受ける美容師として活躍し、さまざまな挑戦を続けている人物です。
三好さんのお話は、単なる成功談ではありませんでした。挫折、葛藤、家族との関係、そして挑戦の意味。その半生には、挫折や葛藤を越えてなお前へ進むためのヒントが詰まっていました。
視力を失うという現実
1997年に横浜で生まれた三好直人さんは、中学生で進行性の難病「網膜色素変性症」と診断されました。緩やかに少しずつ視力を失っていく病気です。
失っていくことがわかっているのに、止められない。中学生の三好さんは、受け入れられなかったと言います。
さらに当時は、優秀な兄への劣等感も覆いかぶさり、三好さんは自分自身が嫌いだったと語ります。
次第に視力が落ちていくのと比例するように、自信を失っていく三好さんに、母はいつも同じ言葉をかけていました。
「あなたなら絶対できる」
しかし当時の三好さんには、その言葉は響きませんでした。むしろ反発心さえ抱いていたといいます。
そんな中、三好さんはある夢を持つようになります。
「カリスマ美容師になりたい」
その思いを胸に、三好さんは美容学校へ進学しました。
「色がわからない」美容学校での衝撃
美容学校に進学した三好さんは、最初の授業で衝撃的な事実に気づきます。
「色がわからない……」
美容師にとって重要な色彩が見分けられないのです。困惑する三好さんに、先生は「カットならできるよ」と伝えます。
その一言が、前を向くきっかけになりました。
そこから三好さんは、猛烈な努力を始めます。
始発から深夜まで続いた猛練習

始発の電車で学校へ行き、誰よりも早く練習を始める。夜は深夜1時~2時までカットの練習。それを2年間続けました。
練習相手は、カット用マネキン「レジーナちゃん」。
手を切って血だらけになるのも日常。
血の付いたレジーナちゃんを電車に落としてしまい、通報されて警察が来たこともあったそうです。
それほど必死に努力しても、結果は思うように出ません。
「こんなに頑張っているのに、みんなと同じじゃない」。
悔しさでイライラし、泣いて歩けなくなることもありました。
それでも、あきらめきれず、進行する病気のなか、三好さんは死に物狂いで練習を続けます。
気づけば家には100体以上のレジーナちゃん。
カット練習340回、パーマ練習780回。
成績は最下位。
心が折れそうになりながらも、もがき、あがく三好さんは、ついに国家試験に合格します。多くの人から称えられながら、「模範賞」も受賞します。
そのとき一番喜んでくれたのが、母でした。
「生まれて初めて母とハイタッチしました」と、三好さんは振り返ります。
就職という次の壁
晴れて美容師資格を手に入れた三好さんでしたが、次に立ちはだかったのは就職という壁でした。
目の見えない美容師をどう扱えばいいのかわからない。そう言われ、何度も門前払いを受けました。
最終的に、学校の先生が今働いている美容室の社長を紹介してくれたことで、ようやく就職先が見つかります。
心が折れかけた美容師生活
美容師として働くことが叶った三好さんですが、病気はさらに進行していきました。視界は「針の穴から覗くような状態」。できていたことでさえもできなくなっていったと語ります。
「同期や後輩にも追い抜かれ、プライドも傷つきました」。
そしてある日、ついに三好さんは母に言いました。
「もうやめたい。先が見えない」
母はこう答えました。
「直人はうちの誇りよ。みんなの希望になる存在だから。もう少し頑張りなさい」
心身ともに限界を感じていた当時の三好さんには、あまりこの言葉は響かなかったといいます。「もう少しだけ続けてみよう」と奮い立たせながら、サロンに立っても、やっぱりうまくいかない――。苦しい時間を過ごしていました。
ヘッドスパが教えてくれた仕事の本質

そんなとき、社長がヘッドスパを教えてくれました。本当はカットがしたいと後ろ髪をひかれる思いがありながらも、ヘッドスパをしてみると、施術を受けたお客様が腕を上げながら「さっきまで上がらなかった腕が上がる!」と、喜んでくれたのです。
その姿を見た瞬間、三好さんは気づきます。
仕事とは、自分のためではなく、人に喜んでもらうためにあるのだと。
お客様のために五感を研ぎ澄ます
それから三好さんはヘッドスパを極めていきます。
「視力は完全に失われました。しかし、匂いでストレスや体調を感じ取り、声から本音と建前を読み取り、呼吸のリズムから睡眠状態や生活習慣を感じ取ることができるようになったんです」。
その施術を求めて、日本全国からお客様が訪れるようになります。
利用者の高橋さんはこう語りました。
「デスクワークで首が凝っていたのですが、絶妙なタッチでほぐしていただきました。血行がよくなって体がぽかぽかして、全身に力が出るような不思議な経験でした」。
母の闘病
そんな矢先、母から白血病になったと聞きます。目の前が真っ白になる三好さんに、心配させまいと明るく振る舞う母。
しかし退院してきた母は、20キロも痩せていました。
目は見えなくても、三好さんにはわかりました。
声のトーンや話し方から、母のエネルギーが少しずつ失われていくことが。
それでも母は気丈に「絶対元気になるからね」と話し続けました。
やがて母は、緩和ケア病棟へ入ることを決めます。それは治療をやめるという意味でした。胸が張り裂けそうな思いで、三好さんは毎日お見舞いに通いました。
「ありがとう。元気になった」と弱々しく語る母の声を聞きながら、心で泣く日々を過ごします。
母の最期の言葉は、看護師に伝えた言葉でした。
「息子は目が見えないので、お願いします」。
最後まで息子を気遣い、その生涯を。
三好さんは、母に感謝を伝えられませんでした。それを伝えれば、母の死を認めてしまう気がしたからです。
「なんで感謝を伝えなかったんだろう」。
後悔とショックで、何度も自分を責めていたと、三好さんは当時を振り返ります。
母の言葉が残したもの
母が亡くなったあと、父から聞いた話があります。父は、目の見えない息子の将来を心配し、母に相談したそうです。
そのとき母はこう言いました。
「あの子はもう大丈夫」
その言葉で父の不安はほどけ、父も母のように三好さんの可能性を信じるようになりました。父子の絆もより強くなっていきました。
ずっと信じてくれていた母の大きな愛を感じ、「母の子として生まれたことを誇りに生きよう」と決意を固めました。
人生を変えた講演との出会い
母が亡くなって2週間後、運命的な出会いが訪れます。講演家・古市佳央さんとの出会いでした。
古市さんから勧められたのは、「サムライ講演会」への出場でした。
自らの体験を語り、聴衆へ希望を届ける講演会です。
「最初は断りました。」と三好さんは話します。
人前で話すのが怖い。
出場者は著名な人ばかり。
しかし「人生が変わる」と聞き、挑戦を決めます。
半年間、自分の過去と向き合いながら原稿を書き、時計を見ることができない三好さんは12分の講演時間を体に叩き込みました。
仕事後カラオケにこもって練習を繰り返しました。その回数 、約60回。
結果、三好さんはグランプリを受賞することができました。
何より嬉しかったのは、感想カードでした。
「感動しました」
「生きててくれてありがとう」
その言葉が、三好さんの人生を大きく変えました。
「挑戦することは素晴らしいことなんだ」と、心から実感したのです。
富士山登頂という新しい挑戦

さらに2024年、富士山登頂にも挑戦します。
富士山ガイドの友人「よっちゃん」に誘われたのがきっかけでした。
「目が見えないから無理」と断る三好さんに、友人は言いました。
「絶対大丈夫!」
その言葉に背中を押され、三好さんは登頂を果たしたのです。
聞き手の心に残ったもの

講演を聞いた参加者からも、多くの声が寄せられました。
Dress agingの柴原さんはこう語ります。
「お母様が『あの子は大丈夫』と言った言葉に、自分の子育てを振り返りました。親はどうしても心配してしまう。でも信じることが、子どもを強くするのだと教えられました」
大学生の参加者はこう話します。
「三好さんの姿を見て、自分も挑戦をあきらめずにやってみたいと思いました」
別の学生はこう言いました。
「自分を信じるのは簡単ではない。でも三好さんの姿が、その理由になりました」
人は一人では挑戦できない
挑戦をあきらめている人へ、三好さんはこう話しました。
「一緒に挑戦しませんか?って声をかけます。人は一人ではできないと思っている。
でも誰かが一緒にやろうと言ってくれたら、一歩踏み出せると思うんです」。
人生の中で、誰かが自分を信じてくれた経験。
それは、その人が今度は誰かを信じる力へと変わっていきます。
三好さんは講演の最後にこう語ってくれました。
「頑張ることに意味があります。今、夢を追っている人、挑戦している人、足踏みしている人。大丈夫です!
母が僕を信じてくれたように、今度は僕が皆さんを信じます。もう少しだけ頑張ってみてください。挑戦は素晴らしいものです!」
三好さんの人生が教えてくれたのは、挑戦の意味と、人を信じることの力でした。
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