「きれいになりたい」は誰のため?ルッキズムから考える外見と美しさ
「きれいになりたい」は、どこから生まれるのか
髪型を変える、メイクをする、体を鍛える、好きな服を着る。外見を整えることには、自分らしさを表現する楽しさがあります。鏡を見て気分が上がったり、新しい服を着て出かけたくなったりすることもあるでしょう。「もっときれいになりたい」「格好よく見られたい」という気持ちは、多くの人にとってごく身近なものです。
ただ、その「きれい」や「格好いい」は、どこから来たのでしょうか。自分の好みだと思っていても、友人から褒められた経験や、広告、ドラマ、SNSで繰り返し見てきた人の姿が少しずつ影響しているかもしれません。ルッキズムは、外見を気にすることそのものを指す言葉ではなく、容姿や体型、年齢などによって人の価値を判断し、扱いに差をつける考え方です。
誰かを見て「きれいだな」と思うことと、「きれいだから仕事もできそう」と考えることは本来別の話です。それでも、この二つは知らないうちにつながることもあり、美容の良し悪しを議論するだけでは見えてこない、ルッキズムの難しさがここにあります。
外見は「好み」を超えて、評価にも入り込む
人と初めて会ったとき、顔や服装、表情、姿勢などは自然と目に入ります。短い時間で相手の印象をつかもうとすれば、目から入る情報に頼るのも不思議ではありません。厄介なのは、その第一印象が外見とは関係のない評価にまで広がることです。整った外見の人に対して「仕事ができそう」「人付き合いが上手そう」と感じることもあります。本人の能力を知る前から、見た目が判断材料になっているわけです。
外見と仕事をめぐっては、労働市場を対象にした研究も長く行われてきました。容姿と賃金の関連を示した研究がある一方で、学歴や職種、人的資本、社会的ネットワークなどを考慮すると、その差が小さくなるとの報告もあります。「見た目が良ければ収入が上がる」と単純に結びつけられる話ではありません。
ただ、「きちんと見せたほうが評価される」「若く見えるほうがいい」といった経験を何度もすれば、外見を整えることは趣味だけではなく、自分を守る手段にもなっていきます。本人が自由に選んでいるつもりでも、その背後に「評価を落としたくない」という気持ちが混ざっている場合もあるでしょう。自分の意思と社会への適応をきれいに分けられないところに、この問題の複雑さがあるといえます。
SNSが「普通の見た目」を書き換えていく
SNSが生活に入り込んだことで、私たちが外見を比べる相手は一気に増えました。以前なら日常的に目にするのは家族や友人、学校や職場の人が中心でしたが、今はスマートフォンを開けば世界中の人が現れます。モデルや俳優だけではありません。インフルエンサーや一般ユーザーの投稿まで同じ画面に並びます。メイクや照明、撮影角度、画像加工が施された姿であっても、毎日のように見ているうちに、それが珍しいものではなくなっていきます。
SNSと身体イメージの関係を調べたメタ分析では、2008~2024年に発表された83研究、計5万5,440人のデータが分析されています。その結果、SNS上で他人と自分を比較する傾向と身体イメージへの懸念には、中程度の関連が確認されました。相関係数は0.454で、摂食障害症状との関連は0.355、肯定的な身体イメージとはマイナス0.242でした。もちろん、この数字だけで「SNSを使えば自分の外見が嫌いになる」とは言えません。研究によるばらつきもあります。
ただ、利用時間の長さだけではなく、画面の中の誰かと自分を比べ続ける行為が、外見への意識と結びついていることは見逃せないでしょう。毎日目にする「きれいな人」が増えれば、「普通」と感じるラインまで少しずつ上がっていく可能性があります。
外見を変える自由と、変えなくても困らない自由
美容やファッションをルッキズムの原因としてしまうと、話は別の方向へ進んでしまいます。好きな服を着たり、メイクを楽しんだり、美容院で髪型を変えたりすることは、生活を楽しむ方法でもあります。一方で、「美容は本人が好きでやっているのだから、すべて自由な選択だ」と言い切るのも難しいところです。若く見られたい、痩せたい、肌をきれいにしたい。その気持ちの中には、自分自身の好みと一緒に「そうしたほうが周囲から評価される」という感覚が入り込んでいるかもしれません。
外見を変えたいと思ったとき、すぐにその気持ちを否定する必要はないでしょう。ただ、「変わったあとに何を得たいのか」まで考えてみると、自分の美意識が少し見えやすくなります。鏡を見たときの自分を好きになりたいのか、ファッションを楽しみたいのか、それとも誰かから低く評価されるのが怖いのか。同じ美容でも、その理由は人によって違います。
ルッキズムと向き合うことは、美しさを否定することではありません。「この人はきれいだ」と感じることと、「きれいな人のほうが価値がある」と考えることを分けてみる。それだけでも、外見との付き合い方は変わってくるはずです。外見を整える自由があるなら、流行の服を着なくても、年齢を重ねても、体型が変わっても、それだけで能力や人格まで低く見られない自由もあっていいでしょう。
「もっときれいになりたい」と感じたとき、その気持ちは誰のためのものなのか。答えを一つに決める必要はありません。自分の好みだと思っていたものの中に、他人の視線や社会の価値観が混ざっていると気づくだけでも、美しさとの距離は変わります。外見を変えるかどうかより、自分が何を求めているのかを知ること。その視点を持つことが、ルッキズムに振り回されず、美容やファッションを自分なりに楽しむための手掛かりになるのではないでしょうか。
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