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SRHRと選択的夫婦別姓から考える「自分で選べる社会」のかたち

身体と名字、一見違う問題がつながる理由

SRHRと選択的夫婦別姓は、同じ権利を扱うものではありません。SRHRは性や妊娠、出産、医療など身体に深く関わる権利であり、選択的夫婦別姓は結婚後の名字や戸籍制度に関わる問題です。それでも二つを並べて考える意味があります。共通しているのは、「社会の制度が、一人ひとりの人生に関わる選択をどこまで決めてよいのか」という点です。本人が決める領域と、社会が共通ルールを設ける領域。その境目をどこに置くかという問題が、どちらにも含まれています。

SRHRは「Sexual and Reproductive Health and Rights」の略で、日本語では「性と生殖に関する健康と権利」と呼ばれています。WHOによると、避妊、不妊治療、妊産婦医療、性感染症の予防や治療、性暴力からの保護、安全で健康的な関係についての教育などが含まれます。子どもを持つか、いつ持つか、どのくらいの間隔で持つかを自分で決められることも、この考え方の一部です。単に病気を防ぐだけではなく、必要な情報や医療にアクセスし、強制や差別を受けずに判断できる環境まで含めて考える点に特徴があるといえます。

 

夫婦の名字は誰が変えているのか

選択的夫婦別姓も「名字を自由に選びたい人だけの問題」と考えると、本質を見落としやすくなります。現在の民法では、結婚すると夫婦のどちらか一方が必ず名字を変える必要があります。2024年に婚姻した48万5,092組を見ると、夫の姓を選んだ夫婦は45万6,453組で94.1%でした。つまり、婚姻によって姓を変える人の大部分は女性です。法律上は夫と妻のどちらを選んでも構いませんが、実際の負担には大きな偏りが生まれていることが数字から分かります。

姓の変更は、役所に届けを出して終わる話でもありません。仕事上の名前、銀行口座、クレジットカード、資格、契約など、生活のさまざまな場面に関わります。内閣府の調査では、「積極的に結婚したいと思わない理由」として「名字・姓が変わるのが嫌・面倒だから」を挙げた割合は、20~39歳の独身女性で25.6%、男性で11.1%でした。40~69歳では女性35.3%、男性6.6%となり、男女差はより広がっています。この数字だけで結婚しない理由のすべてを説明することはできませんが、姓の変更が一部の人にとって現実的な負担になっていることは読み取れるでしょう。

 

「選べる自由」だけでは解決できない難しさ

ここでSRHRと選択的夫婦別姓を単純に「本人が好きに選べばいい」とまとめてしまうと、議論は浅くなります。社会には他者との関係や行政手続きがあり、すべてを個人の希望だけで決めることはできません。SRHRであれば、安全な医療を提供する体制や年齢に応じた教育、正確な情報へのアクセスなどが必要です。選択的夫婦別姓でも、子どもの姓をどう決めるのか、戸籍制度との関係をどう整理するのかといった論点があります。自由を認めるだけでなく、その自由を実際に使える制度を設計するところまで考える必要があるでしょう。

夫婦別姓に慎重な立場からは、家族の一体感や子どもへの影響を心配する意見もあります。内閣府も、夫婦の氏に関する制度について、家族の一体感や子どもの最善の利益、戸籍制度との関係などを考慮しながら検討する必要があるとしています。こうした意見を「古い価値観」と片づけてしまえば、議論はかえって進みにくくなるでしょう。一方で、家族の一体感を守るために、婚姻するすべての人へ同じ姓を求める必要があるのかという問いも残ります。個人の選択と社会制度の役割を、どこで折り合わせるのかが問われていると考えられます。

 

権利を考えることは「選択肢の数」を考えること

SRHRと選択的夫婦別姓に共通しているのは、特定の生き方を正解にする考え方ではありません。子どもを持つ人生も持たない人生もあり、結婚後に同じ名字を名乗りたい夫婦もいれば、それぞれの名字を維持したい夫婦もいます。選択肢を増やすことは、従来の選択を否定することとは違います。選択的夫婦別姓であれば、同姓を望む人からその選択を奪う制度ではなく、別姓を希望する人にも別の道を用意するという考え方です。

権利という言葉は、ときに大げさで自分とは遠い話に聞こえるかもしれません。しかし、実際には結婚するときの名字、妊娠や出産、医療を受ける判断など、日常の延長にある問題です。自分がその選択肢を使うかどうかと、その選択肢を社会として認めるかどうかは別の話でしょう。SRHRと選択的夫婦別姓を一緒に考えることで見えてくるのは、「誰かに同じ生き方を求める社会」と「複数の選択肢から本人が決められる社会」の違いではないでしょうか。社会として共通の仕組みを維持しながら、個人が決められる範囲をどこまで広げるのか。その境界を考えることが、これからの権利議論を理解する手がかりになると思われます。

カテゴリ
社会

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