人は記憶だけでできているのか:老いと認知症が問いかける「私」の正体

年齢を重ねると、名前がすぐに出てこなかったり、昨日の出来事を思い出せなかったりすることが増えてきます。さらに認知症が進めば、家族の顔が分からなくなることもあります。そんな状態になったとき、それまでの「自分」はどこへ行ってしまうのでしょう。
認知症というと、医療や介護の話になりがちです。しかし、もう少し視点を広げてみると、「人間は何をもって同じ人であり続けるのか」という哲学の問題にも行き着きます。記憶なのか、性格なのか、身体なのか、それとも家族や友人との関係なのか。「恍惚」という言葉を手がかりに老いを考えてみると、これまで当たり前だと思っていた人間らしさの基準も揺らいできます。
記憶が薄れても「私」は残っているのか
私たちは、自分の過去を覚えています。どこで生まれ、どんな学校に通い、誰と出会い、何を仕事にしてきたのか。こうした記憶が一本の線につながり、「これが私の人生だ」という感覚をつくっています。認知症によって記憶が失われていくことが怖いのは、この線が途中で切れてしまうように感じるからでしょう。長年連れ添った配偶者を「知らない人」と呼ぶ姿を見れば、家族が「以前とは別人になってしまった」と感じるのも無理はありません。
ただ、記憶だけを「自分」の条件にすると、少しおかしなことも起こります。私たちは子どもの頃の出来事をすべて覚えているわけではありませんし、10年前と今では考え方も性格も変わっています。それでも、10年前の自分を別人だとは考えません。認知症の人も同じです。出来事を説明できなくても、昔好きだった歌を聞けば表情が和らぎ、親しい人の声を聞けば安心することがあります。記憶として言葉にできなくなっても、感情や身体の感覚まで一緒に消えてしまうわけではありません。「私」という存在は、記憶だけでできているわけではなさそうです。
「できる人」が評価される社会で老いるということ
日本では、この問題がますます身近になっています。内閣府の「令和8年版高齢社会白書」によると、2025年10月1日時点の65歳以上人口は3,622万人で、総人口の29.4%を占めています。75歳以上も2,127万人に達しました。2070年には65歳以上が人口の38.7%となり、およそ2.6人に1人が高齢者になると推計されています。老後は人生の最後に短く付け足される期間ではなく、20年、30年と続くことも珍しくない時代になりました。
一方で、私たちの社会は「できること」にかなりの価値を置いています。仕事ができる、正しく判断できる、一人で生活できる。若いうちは気づきにくいものの、こうした基準をそのまま老後にも当てはめれば、年齢を重ねるほど評価されるものが減っていきます。認知症になれば、その傾向はもっと強くなるでしょう。しかし、仕事を辞めても人間であることに変わりはなく、自分で着替えられなくなったからといって、その人の人生まで価値を失うわけではありません。何ができるかという評価と、その人自身の価値は、本来分けて考えたほうが自然ではないでしょうか。
「恍惚」は認知症を美化するための言葉ではない
恍惚という言葉には、普段の自分を忘れるほど何かに心を奪われた状態という意味があります。老いと結びつけると、どこか穏やかな響きもあります。しかし、認知症を「嫌なことを忘れて自由になれる状態」と捉えるのは現実的ではありません。本人が強い不安や混乱を感じることもあれば、介護する家族が疲れ切ってしまうこともあります。そうした現実を抜きにして老いを美しく語れば、当事者の苦しさから離れてしまいます。
それでも「恍惚」という言葉には、老いを考える別の入口があります。私たちは長い時間をかけて、「会社員の自分」「親としての自分」「仕事ができる自分」といった像をつくっています。老いは、その肩書や役割を少しずつ手放していく時間でもあります。さらに記憶まで不確かになったとき、社会の中で作ってきた「私はこういう人間だ」という説明も揺らいでいきます。それでも、好きな音楽を心地よいと感じたり、誰かに手を握られて安心したりする現在は残っています。過去を説明できる自分だけが本当の自分ではない。そんな見方をすると、恍惚は「何も分からなくなること」ではなく、記憶や肩書だけでは捉えられない人間を考える言葉として読めるでしょう。
老いを「若さを失った状態」だけで見ない
厚生労働省が公表した研究班の推計では、2022年の65歳以上の認知症の人は約443万人、MCI(軽度認知障害)は約559万人でした。合わせると約1,002万人です。2040年には認知症が約584万人、MCIが約613万人になると推計され、合計は約1,200万人に達します。認知症は特別な誰かだけに起こるものではなく、自分や家族が当事者になる可能性を考えておく時代に入っています。
国の考え方にも変化が表れています。2024年12月に閣議決定された「認知症施策推進基本計画」では、認知症になったら何もできなくなるという見方ではなく、認知症になってからも希望を持って自分らしく暮らせるという「新しい認知症観」が打ち出されました。ここから先に問われるのは、制度をどう整えるかだけではないでしょう。記憶が薄れ、判断する力が衰えた人を、それでも以前と同じ一人の人間として見られるか。老いを若さから何かを引いていく時間としてだけ捉えれば、最後に残るのは喪失ばかりです。けれど、目の前の喜びや安心、誰かとのつながりまで含めてその人を見るなら、老いの景色は少し違ってきます。「恍惚の哲学」が突きつけているのは、老いる人の問題というより、能力や記憶で人を評価してきた私たち自身の物差しなのかもしれません。
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